ルイスとマリアンヌの謎解き道中

 最後の書類に目を通し、サインを書き込み、ルイスはようやくこの三時間持ち続けていたペンを置く。ことりと音を立てたそれの音がやけに響いた気がしたが、それもそうか、とルイスは内心で独り言ちた。ペンを置くと同時に見た時計はすでに22時を超えている。他の場所にはまだまだいるだろうが、気遣う部下たちをとっくに返しているので、少なくともこの周辺は恐らく今はルイスのみだ。

「ま、僕を待つだけのために残業させるのも申し訳ないですしね」

 誰にともなく呟いた言葉も、また静寂に飲み込まれ――る、はずだったが、徐々に近付いてくる軽快な足音の方に飲み込まれた。誰だ、と思うこともなく、ルイスは足音の主を予測する。もう何年にもなる付き合いだ。この元気な足音は覚えた。
「やっほー、ヴォネガさんお疲れ様ー! お仕事そろそろ終わったー?」

 ノックはしたが返事を待たずに勢いよく扉を開けて飛び込んできたのは私服のマリアンヌだ。帰り際なのか肩にはカバンが斜めに下げられている。予想通りの彼女のタイミングのいい登場に、またお得意の盗聴器かとルイスは答えるより先に机の下をのぞき込んだ。

「やっだー、盗聴器なんて仕掛けてないってばー」

 けらけら笑いながら手をパタパタさせるマリアンヌ。ルイスの思考を読んでいるというより、そう思われる行動をとってきたことを自覚しているのだろう。

「――お疲れ様ですマリアンヌ。あなたも今終わりですか? こんな時間にいるのは珍しいですね」

「あちこちの病院にお薬届けるの付き合ってたらこんな時間になっちゃってね~。でもヴォネガさんも残業で良かった」

 カバンを漁ると、マリアンヌは一枚のチラシを取り出した。そこには大きく「大謎解きリレー大会」と書かれている。地名を見るに隣の隣の町とその近辺のようだ。

「今日出先で見つけたんだ。ヴォネガさん、再来週末のお休み暇でしょ? 付き合ってよ」

 笑顔で誘われたのはチラシのイベントだろう。確かにこれと言った用事もない。だが。

「こ、これにですか? 僕はそんなに頭が柔らかい方じゃないから、他の人の方が――エリオットさんとかエイミーさんは?」

 そう、謎解き、なんていう面白楽しい高度な娯楽は、頭が固いと自覚するルイスには難しい。楽しそうだとは思うのだが、役に立てる自信がまるでない。そんな気持ちで訊いたのだが、マリアンヌは残念そうに肩を竦めた。

「それがねー? 本当はいつものメンバーで参加したかったのよ。だけど、その日エリオットさんは王都に行かなくちゃいけないみたいで、みったんは別のお友達と先約があって、ベルモンド兄妹はおうちの用事があるんだって」

 一本ずつ指を折り、マリアンヌが他のメンバー所状況を説明してくれる。みんな忙しいんだな、と理解すると同時に、ルイスはなおさら参加に躊躇してしまった。今更マリアンヌと二人で出かけたところで自分も周りも何とも思わないが、目的を考えるとルイスでない方がマリアンヌは楽しめるはずだ。

「マリアンヌ、やっぱり謎解きなら僕じゃない別のお友達に」

「ヴォネガさん」

 言葉尻を攫ってマリアンヌが言葉を制してくる。思わず口をつぐむと、マリアンヌはにっこり笑った。

「あたし、もうこのメンバーで行くって決めてるの。用事があるなら仕方ないけど、その理由では却下よ」

 いいから来い、と背後に浮かんでいる。ああこれ逆らっても無駄な奴だ。すっと遠い目をして、ルイスは散々に溜めてから「分かりました」と答えた。「やったぁ!」と無邪気に喜ぶマリアンヌに、ルイスはしばらくご無沙汰だった彼女に振り回される感覚を思い出す。彼女と合わさると相乗効果で三倍は騒がしくなるパンダがいないだけマシだろうか。


*** *** ***


 当日、馬車で会場となる町までやってきたルイスたちは、想像以上の賑やかさに素直に驚きを覚えた。頭上には様々な絵柄の描かれた色とりどりの旗がはためき、よく晴れた空には空砲の白い煙が流れている。あちこちの店頭や家々の壁にはイベントを告知するポスターが張られ、「協賛店」と書かれている立看板がいくつも設置されていた。

「……驚いた、結構大々的なイベントなんですね」

 開いた口が塞がらない様子でルイスはあちこちを見回す。客層も様々で、老若男女が入り混じっていた。

「ホントだね! もー、みんな来られたらよかったのに!」

 ワクワクが止まらない様子でずっと笑顔のままのマリアンヌの意見に、ルイスは「そうですね」と応じる。役に立てる、とは今でも思えないが、この祭りの空気にはとても心躍っていた。真面目が過ぎて融通の利かない所もあるとはいえ、根本的にルイスは楽しいことが好きだ。――もっとも、自分から探しに出歩くことはしないので、楽しいことに出会うのはもっぱらマリアンヌ任せなわけだが。

「よーしっ、じゃあ早速受け付けよ! 目指せ完全クリアー!」

「おー」

 全力で拳を振り上げるマリアンヌに、ルイスも軽いノリで拳を上げて付き合う。いつもならやらないし、他のメンバーがいてもやらなかったかもしれない(大体リーナやエイミー、ロドリグがノってくれるので)。けれど、今はルイスしかいないのでノってあげなければマリアンヌに悪いし、何より単純にテンションが上がっていた。

 こうして、珍しい二人旅は始まる。

 受付で最初に行ったのは難易度の選択だ。ベリーハード、ハード、ノーマル、イージー、ベリーイージーで選べたので、相談の結果ノーマルを選んだ。ハード以上は最後まで行けない可能性があるので却下、イージー以下は折角来たのにちょっとつまらないので却下、という消去法だったが、結果としては間違っていなかった。そう思ったのは、ハード以上に挑んでいるらしい面々が難しい顔を突き合わせて複雑な考察を語り合っているのを聞いた時だ。

「うわぁ、あの人たちが持ってる指示書の束多いねぇ。あんなにいっぱいやってたら日がくれちゃいそう」

「本当ですね。あ、そこみたいですよマリアンヌ。最初の関門」

 十枚綴りの指示書と回答用紙と協賛店の情報が書かれた一覧表の束の1枚目に綴じられている地図に書かれていた場所に近付くと、同じ目的の参加者たちがいくつか並べられたパネルの前に分かれて集まっているのが視界に入る。それに近付くと、まず「ここに並んでいるパネルに書かれている問題は全て同じものです」という大きな注意書きに気が付いた。なるほど、殺到することを考慮しての複数パネルらしい。一問目から複数パネルを行き来する必要があるのかと思っていたルイスは少しほっとして息を吐き出す。

 少し空いたパネルの前に来ると、ルイスとマリアンヌはそれぞれ声に出さずに問題を読み始めた。

『以下の図から読み解ける文字は何でしょう』

 問題文の下には図が描かれており、船が横に3つ、蝙蝠が横に4つ、ココナッツが横に5つ、ソリが横に2つ、順番に縦に並んでいる。蝙蝠とココナッツの図はスタートが前に1つ分ずれており、船の図の1つ目の上には下向きの矢印が書かれていた。図から文字とは? と早速頭を捻らせるルイスとは正反対に、マリアンヌは「あっ、分かった!」と嬉しそうに声を上げる。

「え、マリアンヌもう分かったんですか?」

 何という閃きの良さか。驚いていると、マリアンヌはにっと歯を見せて笑った。

「うん。向こうで説明しようか?」

 さすがに解いている人たちの横で答えをべらべら話すのはマナー違反だ、とマリアンヌがパネルから離れた場所を示す。少し考えたルイスだが、すぐに「いいえ!」とパネルに向き直る。

「最初から人の手を借りるのは悔しいので頑張ります」

 やる気を覗かせるルイスに、マリアンヌは「いいねー、ヴォネガさんかっこいー!」と背中をばんばん叩いてきた。
「ちょっとやめてください、考えが頭からこぼれる!」

「あはは、ごめんごめん。頑張ってねん」

 そのまま改めて問題文を見直すルイス。周囲の参加者の顔ぶれが大分変った頃に、「あ!」という大きな声を出す。そして、満面の笑顔でマリアンヌを見下ろしてきた。

「マリアンヌ分かった! 分かりました!」

「おっ、いいねー! ちょっとあっちで答え合わせしましょっか」

 大人しく待っていたマリアンヌは嫌そうな顔もせずに笑顔で祝福すると、先んじて少し開けた方に歩いていく。その後ろからついてきたルイスもたどり着くと、2人は向き合う。マリアンヌが小声で「せーの」と声をかけて少しの間を開け

「「ようこそ」」

 2人の導き出した一致した。声も言葉もぴったり合い、2人は互いに笑みを浮かべる。

「そうそう、図を文字に直して、矢印の方向に読み下ろすのが解く方法なんだよね。上からヨット、コウモリ、ココナッツ、ソリで、ヨットの『ヨ』の字の上に矢印があるから、読み始めは1文字目。で、蝙蝠とココナッツは1つずつ前にあるから2文字目、って」

「図と文字の変換とは中々分からなかったです。でもそれが分かるとすぐでしたね」

「こういうのって考え方1個思いついちゃうとそれに固執しちゃって中々解けなくなっちゃうんだよね~。よし、じゃあ次行こうか!」

「ええ、次の目標は今の思考時間のの8分の1を減らすことです」

「分母ちっちゃ! ……ま、いいか。楽しくいこう」

 そうしましょう、と再度拳を振り上げ、2人は次の問題へと向かった。やる気は1問目に取り掛かるよりもずっと上がっている。


*** *** ***


 ゲームを開始してから5時間。昼食含めこまめに休憩しているとはいえ、歩き回りつつ頭もフル回転させるという事態は、頭も体もガンガンと疲弊させてきた。すっかり疲れ切った2人は、現在協賛店の喫茶店で休憩を取っている。

「んくんく、っぷっはー! あー、生き返る」

 サービスの水を飲みほして、マリアンヌは笑顔で口元を拭った。滅多に行かないが、どこぞの酒場でどこぞのおじさんがやりそうな動作だな、という感想をルイスはぐっと飲みこむ。

「もーほんっとうに面白いねこれ! ヴォネガさんも大分解けるスピード早くなったし」

「最初はどうなるかなと思ったんですが、意外に頭がそっち方向にほぐれるとすーっと解けたりするんですよね。今凄く満足感あります。これは確かにみんなで来たかったですね」

 自分一人で考えるのも楽しいし、相談して答えを出すのも楽しい。2人でももちろん十分楽しいのだが、人数が増えたらもっと色んな意見や発想が出てきて面白そうだ。

「スタッフのお姉さん、大規模なのは今回が1回目なんだって言ってたよね?」

 スタッフのお姉さん、というのは、町のあちこちに立って参加者たちが謎解きに詰まったら答えのヒントをくれるお助けキャラ役の者たちのことだ。マリアンヌたちも2回ほど詰まってヒントをもらった。その時、持ち前のコミュニケーション能力でスタッフと仲良くなったマリアンヌが聞いたところ、これまでも小規模で似たようなイベントはやっていたそうだ。それを隣の地区が真似したことで一時は揉めかけたが、「いっそ合同でやってでっかいのやんね?」という話になり、今回の町単位での開催に至った、と。

「ええ、今回の状況次第で次回以降の開催が決まる、と」

 不意に沈黙が走り、ルイスとマリアンヌはお互いをじぃっと見つめ合う。

「考えることは同じだよね?」

「ええ」

 確認し合うと、2人はガっとメニューを掴み取った。

「ガンガンお金使おうヴォネガさん! 投資だよ投資! この楽しいイベント継続のための投資!」

「ええ、もっと慣れてきたらハードモードとかもやってみたいですからね。すみません注文を。サンドイッチAセットをお願いします。飲み物はアイスコーヒーで」

「あたし謎解きスペシャルパフェとオレンジジュース。あ、あとこのコラボピザMサイズで1枚ください。ヴォネガさんシェアね」

 近くに来た若いウェイトレスに力強く注文すると、彼女は一瞬驚いた顔をするが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。注文を繰り返したウェイトレスがそこから去ってから、ルイスとマリアンヌは地図を開き直す。

「えーと、今ここの喫茶店で、次の問題がここですね?」

「この間に確か協賛してる雑貨屋さんあるんだよね。あたしそこ寄りたいんだけどいいかな?」

「構いませんよ、投資です」

「ヴォネガさんは? どっか行きたいところない?」

「僕あんまり欲しい物ない方なので、みんなにお土産買って帰ります。今回のイベントのコラボグッズとか売ってませんかね? それがいいですね」

「いいね、あたしも友達とか家族に買って帰る」

 わいわい次の計画を立てる2人。そうしている内に注文したものが運ばれてきたので、それを堪能した。

 ややあって全てを胃に収め、十分な休息を取ったルイスとマリアンヌは意気揚々と立ち上がり会計を済ませる。さあ次に行くぞ、と店を出て気合を入れる2人に、店の中から駆け出てきたウェイトレスが声をかけてきた。

「あの、本日は来てくださってありがとうございました。ここ、本当にいい町だし、イベントも、みんな凄く張り切って準備してたんです。そんなに楽しんでもらえて、私すっごく嬉しいです。残りも楽しんでくださいね!」

 必死に、真剣に、感謝を述べ、応援してくる少女。ルイスとマリアンヌは互いに目を見合わせてから、少女に向き直り笑顔を浮かべる。

「もちろん、楽しませていただきます」

「サービスもすっごく良かったよー! ごちそうさま、美味しかったってみんなに言っておくねー、ありがとー!」

 ルイスは軽く、マリアンヌは大きく手を振ると、ウェイトレスの少女もまた嬉しそうに笑い返し、「頑張ってください」と手を振り返してきた。

 お互いの姿が見えなくなるまで手を振り合ってから、再度前を向き直る。道にも店にも人が溢れ、個人の住宅だろう場所にも歓迎を現すポスターや看板などが下げられていた。この一枚、一声、一瞬、その全てに活気が満ちている。

「うふ、うふふ、うふふふふふふふふ」

 耐えきれないようにマリアンヌが笑い出した。理由が分かるので、ルイスも止めはしない。

「いよっし、気合入ったわ! 行くわよヴォネガさん! 残りも解いて完遂よ!」

「おー!」

 最初の頃より気合を入れて、2つの拳が日の傾き始めている空に突き上げられる。

 2人の楽しい謎解きは、まだまだ続く。

ルイスとマリアンヌの謎解き道中