君想う(わけじゃない)

 言葉を交わした。最初は仕事の関連でどうしても気になったことがあったから電話をかけたのだが、本題の流れで今度第二都市に行くこととその日程を軽く話した。中日一日だけ予定が空くのだ、と告げた時、彼はいともたやすく「出かけないか」と声をかけてきた。
 女の誘い方が上手くなった元部下に少々「ヴォネガのくせに」とイラっとしたが、暇が潰れるなら万歳だ。二つ返事ではあまりにも急ぎすぎなので、少しの間を開けて是を返す。そのあとは軽く予定を詰めて話を終えた。
 そして前日。仕事が終わってホテルに帰ると時刻はすっかり深夜。こうなる可能性があるので約束の時間は遅めにしているので問題ない。
 化粧を落とす。最初は面倒であったが今となってはいつもの動作。
 風呂に入る。歩き回って汗を掻いたのだから当然だ。匂いが気に入っているバスフォームを使うのはストレスの解消に必要なこと。
 スキンケアをしつつ顔や足のマッサージをする。スキンケア用品はマリアンヌから誕生日に贈られたものを使用している。贈り物を使うのは当然の義務だ。
 髪を乾かす。ほのかに香る花の香油をつければ指で梳いた髪はするりと流れた。仕事でやりとりのある人物の奥方が制作に関わったという代物だ。話のタネとして使っている実績を積まなくてはいけない。
 翌日着る服を確認する。年齢に添う美しいシルエットの、しかし決めすぎないジャケットとスカートの組み合わせ。元部下とオフでランチをするだけだが、相手は官位を持つ軍人だ。適当な服で会って相手に恥をかかせるのは申し訳ない。
 何もかも理由がある。理由があるからこうしている。断じて――。

「……断じて、楽しみにしてるからでは、ないぞ」

 ぽつりと呟きふと見た鏡に映る自分の顔は見なかったことにしてベッドに潜った。

 言葉を交わした。仕事の関連でどうしても気になることがあるんだと電話がかかってきたのだが、本題の流れで今度第二都市に来ることとその日程を軽く話してくれた。中日一日だけ予定が空くのだ、と告げられた時、会えるかもしれないと思ったらつい「出かけないか」と声をかけてしまった。
 少しの沈黙。誘い方がおかしかったかもしれない。そもそも普通に仕事の間の日なんて休みたいのでは。すぐに不安が押し寄せるが、訂正して謝るより早く「行こう」と言葉が返ってきた。どこか嬉しそうな声にほっとしながら、軽く予定を詰めてその日は電話を切った。
 そして当日。出かける準備を整える。
 鏡の前に立ち、ひげがないかをチェック。あまり生える方ではないが、万が一にも不快にさせることがあってはいけない。
 髪型を整える。寝癖が立っていたりしたら合う相手に失礼だ。
 買ったばかりのシャツに腕を通し皴がないかを確認する。アイロンがけは昨晩済ませているが、変に皴が入ったシャツなど着ていったら一緒に食事をする相手が恥ずかしいだろう。
 鼻を刺激しすぎない程度に香水を吹く。ロドリグと共に買い物に出た時に合うと言ってもらってつい買ってしまった物だ。相手の不快な匂いでなければいいのだが。
 いつも着けているものではないプライベート用の時計をつける。少しばかり見栄を張って買った上質の物だが、主張しすぎないデザインが気に入っていた。退役してから随分と目が肥える機会の増えた相手からしても、見劣りしないと信じたい。
 昨晩丁寧に磨いた靴に足を収める。出来る男は足元からだよ、と基地司令から言われてから大事な日の前には特に丁寧に磨くようにしていた。
 大事な日。自然と自分の頭に浮かんでしまった単語にじんわりと赤くなった顔を誤魔化すように頭を振る。別に間違っていない。変な意味なんてあるわけない。かつての上司とオフでランチに行くという貴重な機会だ。大事に決まっているのだから。
 決めすぎないジャケットを羽織り、忘れ物がないのを確認して家を出る。少し早い気もするが、これは仕方ないのだ。もし待たせたら文句を言われるのは分かり切っているから。だから

「断じて、楽しみにしているからじゃないよな、うん」

 穏やかな日差しの中で照らされる頬の熱さは、この際気にしないことにした。

君想う(わけじゃない)