旅人二人と南風

 南部特有の乾いた暖かい風が、賑わう通りを吹き抜ける。通りの脇に停められたサイドカーがついた厳ついバイクに寄りかかる青年の金の髪がふわりと踊れば、長めの前髪に隠されがちな青い双眸が露わになった。肌の焼けた人々が行き交うこの地では異質な白い肌に、涼やかな表情と眼差し。それらはクールさと儚さを絶妙なバランスで漂わせ、通りすがりの女性たちの数人が見とれるような視線を向けている。
 それが面白くないのは観光客の女性のナンパに失敗したばかりの男たちだ。示し合わせて金髪の青年に近付くと、扇状に彼と彼の背後のバイクを取り囲んだ。

「よぉ兄ちゃん。観光かい? かっこいいバイク乗っちゃって」

「高そうだなぁ。金持ってるんだったら俺たちに一杯奢ってくれよ」

「いいよな? 中央の人間は太っ腹だもんな?」

 ガラの悪い絡み方をしてくる男たちを前にしても、青年の表情は変わらず、言葉の一つ出さなければ視線の一つよこさない。

「おいおい、無視はねぇんじゃねぇの?」

 脅すような声と引きつったこめかみで男が青年の顔を覗き込む。目が合った碧眼はじぃと男を眺めおろしてから、小さくため息をついて逸らされた。その反応に、すでに苛ついていた男たちはあっさりと怒りを溢れさせる。正面にいた男の手が青年の胸倉を掴み上げた。

「おいっ、透かしてんじゃねぇよテメェ!」

「南部の人間となんか喋れませんってか」

「上等じゃねぇか。南部の男舐めんじゃねぇぞ!」

 一触即発の空気が流れ、周囲の人々がそれまでとは違う意味でざわめき出す。警察を、と慌てる観光客たちに、情けない真似を、と腕まくりをして太い腕を露わにする南部の住民たち。だが誰より先に動いたのは、彼らを片手で制した人物だった。

「おーし兄ちゃんたちそこまでだ。そいつぁオレの連れだ」

 今にも殴りかかろうとしていた男の肩を近付いてきた人物ががしりと掴む。触んじゃねぇ、と怒鳴り振りかぶっていた腕を払いながら男が、同時に左右にいた2人も振り向くが、そこに予想していた人物はいない。

「どこ行きやがっ――」

「おいおい、どこ見てんだよ。こっちだぜこっち」

 左右を見回し声をかけてきた人物を探そうとうした直後、その声は視線の遥か下から。え、と声を漏らして男たちが一斉に視線をそちらに向ければ、南部の男らしい焦げた肌に黒い髪、口の周りに髭を蓄えた――小人のような男が立っていた。
 男たちは目を見開き衝撃に固まる。え、今どうやって肩叩いてきたんだこいつ? なんか声も違くなかった? そんな疑問が拭えない。しかしそんな衝撃や疑問などどこ吹く風か。小人のような男は快活に笑ってそのまま話を進めてきた。

「悪ぃな兄ちゃんたち、そいつぁ人付き合いが苦手でよ。上手にお喋り出来ないのは勘弁してやってくれ。ほら、こいつは詫びだ。食ってくれや」

 言うが早いか、小人のような男は手に持っていた大きな紙袋を漁りリンゴを3つ取り出し男たちに順に投げ渡す。驚き冷めやらず落としかけるが、何とかキャッチした彼らの脇を通り抜け、小人のような男は金髪の青年に近付き腰の辺りを軽く叩いた。身長が同じか高ければ肩を叩いているようなノリだろう。本当にさっきどうやって肩を叩いてきたんだこいつ。

「待たせて悪かったな。行くぜ」

「……うん」

 ようやく音を発した青年の声は見た目同様大人しい声音をしていた。男たちをそれ以上一瞥もせず、青年と小人のような男はバイクに乗り込んだ。――その光景に、男達も様子を見守っていた周囲の者達も思考が停止する。何故背の高い方の青年が荷物を抱えてサイドカーに乗るのか。何故小人のような男がバイクに跨るのか。そして何故それで普通に走りだせるのか。
 排気音を響かせ遠ざかっていく姿を見送り、残された人々はきっとあれは妖精の類なのだろうと無理やり納得した。

 町から少し離れた丘の上、景色の良いそこにバイクが止まると、小人のような男はバイクを降りて荷物からレジャーシートを引きずり出す。

「まーだ不機嫌なのかよ、サイラス」

 ばさりと風を孕むように広げられたシートが草の上に広がる横で、先ほどの紙袋の中から一回り小さい紙袋を、バイクの荷物からコップを2つ取り出している金髪の青年――サイラス・クラークは言葉通りむすりとした表情をしていた。心配しているでも怒っているでもない楽し気な声音の問いかけに、相棒を見る目をついついきつくなる。

「……笑い事じゃないよ。何でただ立ってただけであんな絡まれ方されなくちゃいけないのさ。南部の人ってすぐ肌が白い人間に絡んでくる」

「がっはっは、なーに言ってんだ。お前は東西南北中央どこでも絡まれてんだろ」

「………………パンダうるさい」

 どかりと乱暴にレジャーシートの上にサイラスが座り込むと、潰れた草の匂いが鼻を抜けた。小人のような男――パンダ・パンダも身軽にその隣に腰を下ろす。サイラスが2人の間に置いた紙袋を開いて中からサンドイッチを取り出し、間髪入れずにかぶりついた。少し癖のあるスパイスが利いた懐かしの肉の味に思わず頬が緩む。

「あー、うめー」

 続けてパクパクと食べ進めるパンダを横目で見てから、サイラスは自分も紙袋を覗き込んだ。パンダが食べている肉のもの、卵、野菜の三種のサンドイッチ。大きさは2種類あるが、サイラスは小さい方が自分の方だと確認せずとも理解する。子供の頃よりは旅をしている分よく食べるようになたが、未だにパンダに比べれば少食だ。サンドイッチの下の方には別の食べ物の箱が詰まっており、脇には店に持参した水筒が2つ並んでいた。
 ひとまず水筒を両方取り出し蓋を開けてみる。1つはコーヒー、1つは冷たい茶のようだ。どちらか片方、というわけではない好きに飲めスタイルなので、サイラスは特に断ることなく茶の方を自分のコップに入れて喉を潤した。南部の方で馴染みの茶は少し渋みがあるが爽やかな飲み口をしている。南部に入ってからよく飲むようになった茶が、最近少しサイラスのお気に入りになっていた。
 まだ中身が残っているコップを倒れないよう慎重に置き、今度はサンドイッチを手に取る。最初に選んだのはパンダ同様肉のサンドイッチだ。パンダの場合は先に好きなものを食べたいが故の選択だが、サイラスの場合は後にすると入らなくなる可能性があるが故の選択であった。
 大きく口を開け、がぶりと一口。昔のサイラスを知る人物が見たら「随分ワイルドになって」と言われそうな食べ方をする。隣の相棒の影響も大きいが、ちょぼちょぼ食べていると周りの人間や鳥や獣に取られることがあるので、自然とこうならざるを得なかった。
 少しの間お互いの咀嚼音がだけが響いていたが、1つ目のサンドイッチを食べきったパンダが底の方から箱を取り出しながら「お前はよ―」と声をかけてくる。

「いっつも言ってるが不愛想過ぎんぜ。オレぁおめーがただの人見知りのコミュ障なだけってのは知ってるけどよ、周りはそんなの分かんねぇんだから、ちょっとくらい愛想よくしたらいいじゃねぇか。さっきだって、『悪ぃな貧乏旅だからそんな金ねぇんだよ~』とか言ってりゃあんなにブチ切れられなかったろ」

 箱を開ければ中からはナゲット、そしてスティック状、あるいは一口サイズにカットされた野菜が出て来た。ほれ、と出されたので、サイラスは不機嫌な眉根でスティック野菜を掴み乱暴にかじる。

「それが簡単に出来たら苦労しないよ」

「でもお前、何か言おうとしたの諦めたろ?」

 見られていたか。サンドイッチをもう一度口に運び、咀嚼分の間が空くが、ナゲットを頬張るパンダは特に気にせず次のサンドイッチを取り出していた。

「…………だって、何かもう怒ってたし、ぼくが何言っても落ち着かなかったでしょあれ。大人しくして周りに任せた方が早く終わるならそうするよ」

 時間と労力の無駄。そう判断したのは、誰かが助けてくれるという期待から。救いの手が期待出来ない状態なら流石のサイラスも逃げを打つが、南部の人間は喧嘩っ早い反面人情に溢れるので、明らかに多対一な上に見た目が儚げなサイラスに味方してくれる者の方が多い。何より、先程の町は観光業が盛んだ。最大の収入源を逃すような状況に関しては自浄作用が働きやすい。
 それを狙っていたのだろう、というのはここまで旅を共にしてきたパンダはしっかり理解している。ミネルヴァに乗船していた頃の彼なら本心から怯えていただろうが、すっかり旅慣れしてきたこの頃は、自分の容姿や周囲の状況を上手い具合に活用するようになった。絡んできた相手に無言を貫く半面、助けてくれた相手には穏やかに微笑んで礼を言う。無表情を貫いていた人物が微笑む、というのは予想以上に相手の心を打つらしく、それを知ってからはサイラスはこれを有効活用するようになっていた。
 ちなみに、この方法は特に女性に効果的だ。理由は物語上の『王子様』の一般的なイメージに近い色彩と容姿のため。この国の王族と言えば独特の茶髪に紫の目なのだが、流石に不敬が過ぎる、と実話から遠い創作の世界では昔から色々な色彩が用いられてきている。その中でも金髪碧眼が人気になったのは、かつての有名な作家が書いた金髪碧眼の王子が出てくる小説が大ヒットしたため。舞台化、絵本化までしたためすっかり創作上のテンプレートと化していた。ちなみに長髪王子が人気なのでその点でもサイラスは有利だったりする。過去女装が似合いすぎた美少女然とした顔立ちも大人びて、美青年と呼んで差し支えないくらいになっていた。
 それらに惹かれ、これまでに一体何度顔を真っ赤にした少女からリボンやら何やら貰ってきたことか。何度女性たちにロマンスに誘われたことか。その中でもパンダが個人的に腹を抱えて笑ったのは、とある町でいつも通り絡まれたサイラスを助けるべく何人もの女性たちがわっと押し寄せた時のことだ。ごろつき2人に対し両手でも足りない女性たちが一斉に同じようなセリフを言いながら止めに入って来た。流石にパンダもびっくりしたこの事態の理由は、後程仲裁に来た警察が教えてくれた。曰はく、その町で流行っているロマンス小説では金髪碧眼の王子が街でごろつきに絡まれ、それをヒロインが助けたことで恋が始まるのだという。物語のような出来事を体験出来ると思って同じ考えの女性たちが殺到したのだ。この時「お礼に」ということで助けようとしてくれた女性たち相手に小説の再現をさせられたサイラスの力尽きた様子は今思い出しても面白い。
 惜しむらくは、まだ彼が自分自身に完全に自信を持っていないことだろうか。自身の身を守るための手段としては利用するが、どれだけ眼差しを向けられても「見た目だけでしょ」と切り捨ててしまう。そうなのかもしれないが、中身を知れるくらいの距離にそうそう人を入れないサイラス本人にも問題があるぞ、と過去に言った言葉は反らした目と共に無視されていた。
 今回、そんなお得意の戦法に任せずパンダが仲裁に入ったのは、相棒という立場以上に、絡んできた人物たちの安全を考慮してである。サイラスが気付いていたかどうかは定かではないが、力自慢のオヤジ達がこぞって向かおうとしていたので、パンダが出るのが一番騒ぎが小さく済むと判断した。王子様効果ではなく、恐らく「弱者をいたぶるとは見下げた精神」的なものだろう。最近の若者は中央や北の文化が入って来て少し考え方が変わってきているようだが、基本的に南部のオヤジは弱い者いじめをカッコ悪いと思っている生き物だ。

「はー、お前本当にしたたかになったよなー。マリアンヌたちに見せてやりてーよ」

 野菜のサンドイッチにかぶりつき懐かしい名前を口にする。3分の2を食べきった肉のサンドイッチに更に口をつけようとしたサイラスが一瞬ぴたりと動きを止めた。

「……別に見ても楽しくないでしょ」

 止まっていた動きを再開する。冷たい物言いのように思えるが、眼差しには懐かしさが浮かんでいた。それを横目で見てから、パンダは「そんなことねーよ」と笑う。

「きっと変わったお前にマリアンヌも艦長も旦那達もびっくりするぜー。この間貰った手紙でも、会いたいって言ってたろ」

 定住しないサイラスとパンダだが、件のロマンス小説再現事件のようにパンダが面白いと思ったことをマリアンヌに手紙を送っていた。一方で、定住しないので当然マリアンヌ達からの連絡など取りようがない。のだが、そこは顔の広さに定評がある商売人のロダー家。あちこちに手を回し、時折手紙を寄こしてくる。もちろん、行くだろう場所を予測してそこの商人に預ける、というスタイルなので、流石にすぐにというわけにはいかず、先日受け取った手紙も半年くらい前の日付のものだった。
 それでも懐かしい相手の近況が聞けるのは嬉しいことだとパンダは思う。

「今はまだ南下してくから先になるが、その内カルディアにでも寄るか」

「……ぼく、ろくな理由も言わないまま逃げるように辞めたんだけど」

「だーれも気にしてねぇよ。オレだってお前と旅するわってだけで辞めてるし、艦長だって何か知らんが辞めてるみてーだしな。自分の人生どう生きようが自由だろ?」

 茶を自分のコップに注ぎながらパンダはあっさり言ってのけた。それはそうだがと反論しかけるが、確かにマリアンヌやロドリグ辺りは気にしなそうだ。ルイスだけは辞める時「労働環境にやはり不満がありましたか……!?」と心配していたのでサイラスが顔を見せたら扱いに困るような顔をするかもしれない。それは少し面倒な気がするが、よく気にかけてくれた彼との再会自体は嫌ではない。
 そう考え始めると、いつも優しくしてくれたロドリグに会うのも、いつも明るく話しかけてくれたマリアンヌに会うのも、亡父への義理のためと言えどサイラスに安穏の日々をくれたエリザベスに会うのも、そこまで嫌ではないと思えてくる。むしろ――  風が吹き草が鳴る。周辺を埋めるような大合唱の中、サイラスはぽつりと呟いた。

「――いつか、カルディアに行った時にね」

 それはサイラスにしては珍しく前向きな検討。自分という存在の在り方に迷い、漠然とした不安が拭えなくて逃げるように去った場所。けれど、当時も今も変わらず「大切な場所だった」と言える。それだけ、あの艦で過ごした日々はあてどなく彷徨っていた幼いサイラスの心に陽だまりを与えてくれていた。
 聞こえなくても別にいいと思っていたが、サイラスの呟きは隣の相棒にしっかり届いていたらしい。パンダはにっと笑うと紙袋越しにバンバンとサイラスの背中を叩いて来る。

「おう、行こうぜ。そのときゃ先にマリアンヌに手紙送っておいてよ、盛大に歓迎してもらおうじゃねぇか。お、そんときゃ久々にお前の女装か?」

「絶対着ない。ぼくもう身長伸びたし、前より筋肉もついたし。もう絶対似合わないから」

 つんつんとつついて来るパンダの手を軽く払いのけながら、サイラスはきっぱりと言い切った。マリアンヌが未だに女装させ癖があることも、サイラスより余程体格のいいレオンすらも女装させようと画策していることを彼らは知らない。
 それからしばらく、食事を続けながら何でもない会話を交わし合う。最後にコーヒーを飲み合い、全ての食事が片付いた。数十分ほどゆっくりしてから、2人はどちらともなく動き出した。サイラスはゴミをバイクに詰めてから洗浄用の水で水筒やコップをゆすぎ、パンダはシートを持ち上げ草を払ってから畳み直す。
 全ての片付けが終わり、パンダはバイクに跨り、サイラスはサイドカーに腰を下ろした。

「おし、それじゃあ行くとするか。――『風の吹くまま気の向くまま』」

 すっと拳が伸ばされる。一瞬目を見開きパンダを見るサイラスだが、歯を見せた楽し気な笑みを視界に映すとふっと笑った。足りない分のリーチを埋めるように肘を真っ直ぐに伸ばし、パンダの拳に自分の拳を軽く合わせる。

「『昨日より一歩、広い世界を見に行こう』」

 それは、旅を始めた頃にパンダがよく口にしていた台詞。いつの間にか2人の合言葉のようになっていたが、旅が当たり前になってくると自然と言わなくなっていた。その心持ちがいつでも胸にあるようになっていたのだ。
 敢えてこれを言ったのは、パンダも昔が懐かしくなったからかもしれない。――サイラスも、同感だ。
 もう一度笑い合うと、2人は拳を離し前を向き直る。キーを回しエンジンを吹かせば、すっかり聞き慣れた排気音が響き渡った。
 走り出して巻き起こる風に包まれながら、パンダとサイラスの旅はまだまだ続く。

旅人二人と南風