笑顔はともに

 それは、いつも通りマリアンヌの一言から始まった。

「ねえねえー、みんな次のお休み暇ー?」

 いつもの面々が顔を合わせる休憩室に飛び込んできたマリアンヌの開口一番に、慣れ切った面々は何事かと問うこともない。

「はいっ! 私は大丈夫です」

「あー、まあ俺も今回は用事ねぇな」

 とはいつも通り乗り気のリーナと、本当に何の用事もなく、『少々口直しをしたい気分』だったのでその通りに答えたレオン。ここが来るなら大抵は他の面々も揃うのだが、今回は話が違った。

「あ、すみません僕仕事です」

「すみません私も家の用事が……」

「ああー、ごめんねマリアンヌ。実家に呼ばれてて……」

 比較的マリアンヌの誘いに素直に応じてくれる面々からは軒並み断りが入る。それを受け、レオンは「じゃあ」と視線を自分たちに向けてきたマリアンヌから即座に視線を逸らせた。

「いや、やっぱり俺も用事あったわ」

「ベルモンドさーん? 『ひとりであたしの相手すんのめんどくせぇ』って顔に出てるわよぉー?」

「……察したんだったら受け入れろよ鋼メンタル女」

 がしりと肩を掴まれレオンの頬にはたらりと汗がひとつ。

「つーかお前とリーのふたりってことは遊びに行くっつったって買い物とかだろ? 俺はそういうのは興味ねぇから二人で行って来いよ」

 犬猫の子を払うように手を振るレオン。横ではリーナが大層ショックそうな顔をしている。その顔を見せれば最近のリーナに慣れつつあるレオンなら折れるのでは、と不参加表明組は申し訳なさから助け船を出そうかとそれぞれ口を開きかけた。だが、それよりもマリアンヌの方が早かった。

「ベルモンドさんベルモンドさん、私ほら、商人の娘じゃない?」

「あ? ああ、まあ、そうだった……な?」

「私自身もほら、ある意味商人兼任じゃない?」

「? ああ、そうだな?」

 よく分からないまま肯定を返していくレオン。他の面々もマリアンヌは一体何を始めたのかと怪訝な顔でその動向を見守る。

「商人ってほら、人脈命でしょ?」

「あー、ああ、そうらしいな」

 だから何だとレオンの目には疑問と面倒くささが宿り始めた。そこでようやく、マリアンヌはにやりと笑って本題を切り出す。レオンを釣るには大変効果のある内容を。

「私、色んな人とお友達だから、楽しく遊べるところも美味しいご飯屋さんも人気なスイーツのお店も、いーっぱい知・っ・て・る・ん・だ・け・ど・なぁ~?」

 本当に来なくていいのぉ? という問いは、訊くまでもなかったことだろう。雷に打たれたような顔をしたレオンの顔とにっこにこのリーナの顔が、全てを物語っていた。

 約束の休日。動きやすい楽な服装で、という指定をされたので、レオンは少しばかり柔らかい素材のズボンと肩の回りやすいシャツを纏い、髪はリーナに少し高めに結んでもらった。リーナは以前マリアンヌに貰ったサスペンダー付きのキュロットパンツにハビットシャツを身に着け、髪も軽くまとめている。さり気なく髪には兄と揃いでリボンをつけているのだが、当の兄は気付いているのかいないのか特に外す様子もないのでこっそりリーナはご満悦だ。
 そろそろ時間だろうか、とリーナが手首の内側に向けた時計盤に目を落とした直後、「あれじゃないか」とレオンが声を上げた。応じて顔を上げ、リーナは視線を兄と同じ方向へと向ける。
 視線を向けた先にある道路の奥から走って来る、下品ではない程度に彩度落とした大き目な赤い車。確かに、以前マリアンヌがあれで送られてくるのを見たことがあった。そんなことを考えている内にどんどんと近付いてくるそれは、レオン達が立っている場所の正面の道路で停車する。

「おっはよー2人ともー! 目的地までこの車で移動するから乗って乗って~」

 後部座席の窓を開けて元気よく声をかけたのは予想通りのマリアンヌ。ベルモンド兄妹は互いに一度視線を投げてから、挨拶を返してその車に乗り込んだ。後部座席はL字型をしており、マリアンヌは乗り込んだ正面・L字の長辺に当たる部分に座っている。リーナはその隣に、レオンは車の後方・短辺に当たる座席に座った。

「で? 今日はどこ行くんだ?」

 お楽しみ、と言われ結局どこに行くかを教えられていなかったが、流石に当日には口を割るだろう。レオンの胡乱げな視線とリーナの期待に輝く視線を同時に受け、マリアンヌはきらりと星を飛ばして得意げな笑みを浮かべた。

「よくぞ聞いてくれました! 本日のテーマはズバリ――アスレチックで遊ぼう&名産食べ歩こう! です!!」

「お――ごほ、ま、まあそれなりに楽しめそうだが、アスレチックと食べ歩きってのはむずかしいんじゃないか? 俺はともかく、リーは体力持たないだろ」

 運動+ご飯、という魅惑の組み合わせに一瞬沸き立ちかけるレオンだが、精一杯の意地にかけてそれは何とか控える。素直になればいいのにと内心ほくそ笑んだマリアンヌは隣に座るリーナの頭を抱きしめつつVサインをレオンに向けた。

「だいじょーぶだいじょーぶ! 今日行く場所はね、それが両立出来ちゃうから」

 どういうことかとベルモンド兄妹は同じような顔をする。そんな彼らの前に、マリアンヌは用意していたチラシを差し出した。表面には町の名前と地図と遊ぶ人と食べる人の写真、背面には町中の略図と何があるかがざっくりと書かれている。ベルモンド兄妹には聞き覚えも見覚えもない名前と地形で二人の疑問はさらに増したようだ。マリアンヌはその反応を予測していたようで、特に驚きもせず説明を付け足した。

「ここから結構南の方にある町なんだけどね、自然は豊かでご飯も美味しい所なんだけど、観光名所らしい観光名所がなくて寂れる一方だったんだよね。で、他の国なんだけど、自然を生かしたアスレチックで有名になった所があったから、それを参考にアスレチック開発して、随所随所に休憩所兼ねてご飯屋さん作ったらこれが結構当たってね。今じゃそこそこ有名な遊びとご飯のスポットよん」

 凄いんだから、と胸を張るマリアンヌ。その様子に、リーナはあることに思い至り少しばかり興奮気味に尋ねる。

「あの、マリアンヌさん! もしかして、その町の開発って、マリアンヌさんのおうちが?」

「おっ、リーちゃんするどーい! そうそう、ロダー家が先物買いして出資した町なのよ~。今回誘う時に商売人アピしたからそっち方面で遊ぼ~って思ってここにしました!」

 ドヤ顔で親指を立てるマリアンヌ。町ひとつを開発した挙句しっかり元を取っているロダー家のやり手ぶりに、リーナは素直に感心し、レオンは感心しつつも金はある所にあるんだなと少しばかり世知辛い気持ちになった。中流貴族かつ陸軍中佐である身としてはそこまで金に苦労はしていないが、町ひとつをどうにか出来るかと言われれば無理と言わざるを得ない。
 そんな世知辛さを押し返すように彼の胸の内に湧き出てくるのは、これから行く先への期待。マリアンヌが楽しいことを探すのが得意な人物であるのはこれまでの付き合いで確信している。それに加えて生家がばっちり関わっているとあれば、目的地は今日までにレオンが期待していた以上に楽しめるのでは、と胸が躍った。

「さて、それじゃあ目的地に着くまでの間、町の名産品のひとつをご賞味いただきましょうか!」

 そう言ってマリアンヌが社内キャビネットから取り出したのは美しい黄色をしたプリン。大事に育てられたニワトリのこだわり卵で作られたという説明にレオンの口の中は期待に溢れる。
 楽しめる。間違いない。確信するのには一口で十分だった。

 車で揺られること一時間弱。窓から見える景色が街並みから自然に完全に切り替わった頃、ようやく車は目的地に到着した。

「とーうちゃーく! じゃあ降りよっか。運転ありがとミリアルド。帰りもあるから、それはまでゆっくり羽伸ばしてねん」

「はい、お嬢様。お気をつけていってらっしゃいませ。レオンさんとリーナさんも、楽しんできてください」

 運転席にいる金髪の美しい青年の首に軽く抱きつき挨拶を交わし、マリアンヌがまずは外に出る。次いでリーナとレオンも運転の礼を述べてその後に続いた。三人が出たのを確認してから、ミリアルドは軽く会釈をし、車をまた発進させる。ここではない場所に駐車場があるのだマリアンヌは説明した。

「はーい、ということでここが本日の遊び場。そのまんまだけど、通称アスレチックタウンでーす!」

 休憩を挟んだとはいえ座り通しだったとは思えないテンションでマリアンヌが両手を広げ背後の門と大きな看板を見せびらかす。体を伸ばしていたベルモンド兄妹は、示された先に改めて視線を投げた。
 最初に目に入るのは当然自然。晴れた日差しを弾く眩い緑は、自然のままの姿もあれば見栄え良く刈られた物もある。進んだ先は少し標高が上がっているようだ。小さな林の先には見晴らしのよさそうな丘陵があり、遠巻きながらもそこに木で組まれた大きな建物がいくつか見えた。すぐ近くには小川が流れ、それを生かして作られた自然の水路では裸足の子供たちがはしゃいでいる。
 大きな看板には歓迎の文言に加え「楽しく遊んで美味しく食べて、最高の一日を」という一文、それと楽し気な家族連れのイラストが描かれていた。その前、あるいは「アスレチックタウン」と掲げられた門の前では記念撮影をしている客たちが何組かいる。三脚付きの立派なカメラを構えているのは専門のスタッフのようで、腕には腕章、近くの看板には「お写真お撮りします」の文言と金額が書かれていた。
 こんな場所にしては案外安いな、と思ってレオンが何ともなしに視線を送っていると、次の客を探していたのか首を巡らせた口ひげのカメラマンと目が合ってしまう。すぐ逸らそうとしたが、カメラマンはぱっと明るい笑顔を浮かべた。しまった、と思ってしまったが、カメラマンの視線が捉えたのはどうやらレオンではなかったらしい。

「マリアンヌお嬢様! いらっしゃいませ、今日はご友人とですか?」

 ニコニコとしながらカメラマンが近付いてくる。ともすれば出資者への媚売りにも見えるが、そうとは思えないほどカメラマンの表情は純粋に嬉しそうだ。

「こんにちは町長さん。そうなんです、今日はお友達と来ちゃいましたー!」

「えっ、町長さんなんですか? お若く見えますけど……」

 マリアンヌの隣で丁寧に頭を下げていたリーナが素直に驚いた様子を見せると、カメラマンこと町長は少し困ったような照れたような笑みを浮かべた。

「一応まだ50代にはなっていないのですけどね。町の開発に伴って、若い人間が町長の方がいいだろうと。先代の町長が父なんです」

「そうなんですね。え、でも、どうして町長さんがお写真を?」

「元々の職業、というのもあるんですが、特に大きな仕事がない時は表に立ってお客様の反応を見るようにしているんです。部屋でふんぞり返っていては見えないものがありますからね」

 そういう町長の視線は訪れている客たちに注がれる。穏やかながらも信念を湛える双眸に、横で眺めていたレオンは少しばかり感じ入った。

「――ということを、マリアンヌお嬢様に教えていただきました」

 再びニコニコしながら町長は手をマリアンヌに向ける。突然水を向けられても、マリアンヌは特に焦ることなく笑って手を上下に振った。

「えー? あっはは、あたし『直接お客様の顔見た方がテンション上がるよね』としか言ってないですよー」

「いえいえ、会議室に籠って唸っているだけの私には天啓でした。それに、その理念の下ご自身の足で動くマリアンヌお嬢様が見つけてくださったからこそこの町の今があるのです。マリアンヌお嬢様はこの町の恩人ですよ」

 もー、また言ってるーとマリアンヌにはそんなつもりが全くない様子を見せる。目を輝かせたのはもちろん彼女に懐くリーナだ。どういうことですか、と物語をせがむ子供のように話の掘り下げを求められ、町長は笑顔のまま経緯を説明した。
 曰はく、この町は本当に寂れてしまっており、若い世代が次々に外に出てしまっていたという。このまま町は終わりかと思っていた頃、他へ行く途中だったマリアンヌが偶然立ち寄り、折角だしと町を見て回ったそうだ。その際、食事は美味しく自然も豊か、交通の便は少しばかり悪いが、敷地が広いので色々なことが出来そうだ、と評した。それを聞いた町の者たちはただ単に「町を評価してもらえて嬉しい」くらいにしか思っていなかったが、少しもせずに状況は変わる。マリアンヌから話を聞いた姉が妹と共に視察に訪れ、確かに金になりそうだと判断を下したのだ。ちなみにアスレチック作れば、と言い出したのもマリアンヌだそうで、それを聞いて姉と祖父が金の匂いを感じ取ったらしい。
 そこからの行動は早く、あれよあれよと金が注ぎ込まれ開発が進められ、ネックだった交通の便もしっかり道が整備された上に移動のためのバスまで設置された。そこから更にロダー家の名で宣伝が山のように打たれれば、あっという間に客が増え、こうして遊べて美味しいものが食べられるスポットとして有名になったのだ。

「ということで、この町にとってマリアンヌお嬢様は恩人なのです。もちろんロダー家の皆様全てが恩人ですが、マリアンヌお嬢様がこの町に立ち寄らなければ、アスレチックという案を出してくださらなければ、こんな未来はなかった。マリアンヌお嬢様は、正にこの町の太陽なのです!」

 説明はやがて力説へと変わる。気が付けば周りの客たちも聞き入り、最後には拍手が起こった。通常であればここで照れるのが普通なのだろうが、そこはマリアンヌ・ロダー。集まった人々に「どーもどーも」と手を振り、「これからもアスレチックタウンとロダー家をよろしくお願いします! どうぞ皆さん楽しんで!」と主催者張りの挨拶をして見せる。さらに拍手が起きる中、リーナはちゃっかり拍手しているが、離れた場所にいるレオンは「どんな心臓してんだあいつ……」とマリアンヌの豪胆さを改めて感じて汗をたらりと流した。

 集まってしまった人々との謎の記念撮影を終えて、マリアンヌたちはようやくアスレチックへと向かう。

「コースは上級者から初心者まであるけど、今回は中級者コース行こっか。一応付き添いルートもあるからあたしとリーちゃんは『駄目だなー』ってなったらそこ歩こ」

 迷いなくマリアンヌはコースを選択した。身体能力に大きな差のあるレオンとマリアンヌ・リーナが揃って楽しめるとなるとこのレベルが妥協点なのだ。一番身体能力の低いリーナに合わせるのもいいのだが、そうなるとレオンが楽しめなくなってしまう。今日の目的地がアスレチックだと分かった瞬間にリーナから「私も頑張るので、兄上もちゃんと楽しめるコースでお願いします!」と強い要望が出ているので、それも尊重した結果だ。
 スタッフからの注意点等の説明を受けてから一同は早速コースに入る。最初は初心者コースから上級者コースまで同じアスレチックのようで、横に広がった丸太の通路に出迎えられた。地面から少し離れているそれは左右の柱から吊られており、人が歩くたびに前後左右にグラグラ揺れている。
 子供たちがわーきゃー叫ぶ初心者コース、こんな所はただの通過点とばかりに早足で過ぎていく上級者コース。その間に挟まれた中級者コースでは余裕な者とふらふらしている者が二分されていた。

「大丈夫かリー?」

「まだスタートだぞー頑張れリーちゃん!」

「だだ、だいじょうぶですぅぅ。がんばばばりますぅぅ」

 当然のように余裕なレオンはすいすいと丸太の通路の先に至り、乗船勤務経験から体幹の鍛えられたマリアンヌは上手にバランスを取り体勢をキープする。その隣のリーナはすでにグラグラしながらも左右の鎖を掴んで真剣に歩を進めた。ようやく渡り切った頃には横の通路を歩いていた組に数回抜かされてしまったが、やり切った顔で「次も頑張るぞ」とやる気を漲らせるリーナにレオンもマリアンヌも茶々は入れない。

「おし、こっから中級コースだ。行くぞお前ら、気合入れろよ」

「「おーっ!」」

 レオンの号令を受け、マリアンヌとリーナは楽し気に拳を突き上げる。
 そこから、3人は順路に従いいくつものアスレチックに取り組んだ。木で組まれた櫓のようなアスレチックは斜度をきつめにした斜めの板に取り付けられた足場を伝って登った。マリアンヌとリーナは脇の柱を掴みながら登ったが、レオンは足だけでポンポンと登り切っていた。櫓を登り切ったら次はネットの通路。足を取られながらも進むリーナと、こちらは余裕のレオンとマリアンヌ。ぐにゃりと上下に曲がった通路を四つん這いに近い体勢で通り抜け、吊るされた長い棒を順番に渡り、細い通路を慎重に渡る。櫓の最後はロープウェイで、座椅子のような形をした吊るしに跨り登った分を下っていく。スピードが出るのでリーナは怖がるかと思ったが、やる、とのことなのでまずレオン、次にリーナ、最後にマリアンヌが渡った。随分楽しかったようで、マリアンヌが着いた時には風に煽られぐしゃぐしゃになった髪のまま「兄上! 見ていてくれましたか? 私も出来ました!」とはしゃいでおり、マリアンヌはほくほくと笑みを浮かべる。
 雲梯や左右交互に設置された板の飛び移り、櫓より更に高い場所の橋渡、網登り。この辺りはマリアンヌとリーナはパスしたがレオンはしっかりとクリアした。三段に分かれているルートではレオンのみ一番上を、マリアンヌたちは一番下を登ってそれぞれチャレンジする。
 その途中途中に、最初にマリアンヌから説明があった通り食事や休憩が出来るスポットがいくつがあった。こじんまりとした店もあれば小さなカートの出店もあり、見かける度にレオンがそちらに引き寄せられてしまうので、ともすれば早々に無くなりそうなリーナの体力は何とか維持出来ている。偶然とはいえ兄に気遣われているようでリーナは笑顔を零し、マリアンヌも予定通り楽しんで貰えていることにニコニコしていた。
 そうして当初の予定通り遊び歩き食べ歩き、太陽も傾いてきた頃、ようやく3人はゴールにたどり着く。

「ゴーーール!! おっつかれさまー!」

「おつかれさまでしたぁ。たのしかったぁ」

「おー、お疲れ」

 両手を空に伸ばしなおも元気なマリアンヌ。へろへろになりながらも言葉通り満足そうな笑顔のリーナ。十分動き回り食べ回りご機嫌なレオン。三者三様の終わり方に、ゴールで待っていたミリアルドも楽しそうな笑みを浮かべる。

「お帰りなさいませ皆さま。お疲れさまでした。お着替えは用意してありますので、どうぞシャワールームに。ひとまず汗はこちらでお拭きください」

 てきぱきとタオルを渡しゴール間近の大きな建物に導かれ、マリアンヌとリーナはそのまま素直に足をそちらに向けた。一方、タオルを受け取ったレオンはうがった視線をミリアルドに突き立てる。

「…………変な服じゃねぇだろうな」

「お嬢様のセンスでご用意された服が変なはずがありませんが、ご懸念のフリル等はご用意した服にはついておりませんよレオンさん」

 こういうものです、と有能なマリアンヌ専属執事は用意していた写真をレオンに示した。写真の中のマネキンが着ている服は、なるほど確かにマリアンヌがイベント事の時などに着させようとしてくるフリフリとした衣装とは違いまともなセンスをしている。

「もー、何疑ってんのー? あたし今回ホストだよー?」

「お前はホストの時の方が暴走してんだろうが」

「てへっ」

 全く否定しないマリアンヌにレオンはジト目を向けた。

「あっはは、ごめんごめん。でもさ、今日はちゃんと楽しかったでしょ?」

 楽しかったと疑いのないドヤ顔の笑みが見上げてくる。それに素直に返すのが何だか悔しくて、「まあまあだな」なんて憎まれ口を叩くが、慣れているマリアンヌは「おっけー最高に楽しかったってことね」とOKサインを指で作った。
 そんなこと言ってない、言ったのじゃれ合いが始まる正面では、ふわふわのタオルにくるまりながらリーナが幸せそうに微笑んでいる。気付いたミリアルドがそっと隣に寄ってそっと声をかけた。

「リーナさん、どうなさいました? とても嬉しそうですが」

「え? あ、うふふ。あのですね、実はこの前のお休みの時、実家の関係で私たち集まりに参加していたのです。その時の兄上、笑ってはいたのですが凄く疲れていらっしゃったので……今日マリアンヌさんのおかげで心の底から楽しそうなのを見たら、私嬉しくなっちゃて」

 家格は中流とはいえ歴史のある家系であり、リーナも含め王家に嫁ぐ者・嫁いだ者が多いため、ベルモンド家と関わりと持ちたがる者は後を絶たない。その長子と次期王妃予定の娘とあれば、父にするのと同じように『挨拶』したがる者は多い。軍属で今は家を出ていることを理由にしばらくはそれらに煩わされることもなかったのだが、いい加減数が増えたのを鬱陶しく思った父に「戻って来て相手しろ」と言われてしまったため、渋々(特にレオン)帰宅し2人でその相手をしてきたのだ。
 これでまたしばらくは平和を約束されたが、そうは言っても気の重さが抜けきれなかったレオンと、それを心配していたリーナ。マリアンヌが誘ってくれたのは2人にとってとてもタイミングが良かった。
 リーナの笑顔の理由を聞き、一瞬めをぱちくりさせたミリアルドだが、すぐにまた笑顔を浮かべる。貴族はあまり好きではないミリアルドだが、貴族も貴族で苦労していることは流石にもう知っているし、何よりレオンはマリアンヌの友人だ。ならば、心から笑いこう告げることに迷いはなかった。

「ええ、大切な人が笑顔でいてくれると嬉しいですよね。レオンさんは良い友人と良い妹君に恵まれました」

 お嬢様上げも忘れずにこなした台詞を、リーナは素直に受け取り「はい」と笑みを返す。それに軽く頷いてから、ミリアルドはまだ楽しく喧嘩しているマリアンヌとレオンに向かって両手を数度叩き合わせた。

「はいはい、おふたりとも。風邪をひいてしまいますからまずはシャワーを浴びて着替えてらしてください。夕飯は町長さんがご招待してくれるそうですがいかがいたしますか?」

 夕飯、の単語に、ここまで相当食べて来ただろうレオンはぐるりとミリアルドに視線を向ける。食い意地を隠そうとしないレオンに他の3人は噴き出した。

「んふふふ、そうだよねー美味しいもんねここのご飯。ミリアルド、町長さんに頂いていきますってお返事しといて。リーちゃんシャワー行こ」

「はい」

「承知しましたお嬢様」

「おいお前ら何笑って――はーーーー。いや、いいか」

 反論しかけたレオンだが、楽し気に笑い合いながら建物に入っていく姿を見て結局言葉を無くす。

(リーが楽しんでんだから水差さなくてもいいか)

 散々囲まれ将来のことを話され続けて疲れただろう妹。彼女を思う気持ちは当の本人が彼に向けている気遣いと全く同じだが、言葉にされないそれを気付く者はいなかった。
 その代わりに、ぴったりと揃う言葉がひとつ。

「あー、今日ホントに楽しかったー! また来ようね! 今度は他の人たちもちゃんと連れて」

 マリアンヌが何の気なしに告げた言葉に、レオンとリーナは柔らかく微笑む。

「――ああ」

「――はい」

 また今度。いつかを願う、祈りの言葉。

笑顔はともに