クリスマスソングを聴きながら

前編 / 後編 / おまけ

後編・1

 大型連休2日目、エリオット家別邸の昼時は珍しく騒がしい。

「クリスマスパーティですか?」

 ルイスはロドリグ手製の昼食を食べながら、彼から提案されたことをそのまま鸚鵡(おうむ)返しする。テーブルの向こうで紅茶を入れていたロドリグはそれに笑顔で答えた。

「はい。マリアンヌが皆で、と。ロダー家のお屋敷が会場になるみたいですよ」

 ことの始まりは昨日の遅刻なのだが、少々話しづらいのもありロドリグはそのことは秘したままマリアンヌの提案だけを昼食に招いたルイスとレオンにそのまま話す。一方内情を知らないルイスは、自分用に辛口にしてもらったパスタを頬張り上機嫌なのをそのままに頷いた。

「マリアンヌは言いそうですね。艦にいた頃からそういうイベントごとには細かかったですし。僕は大丈夫ですよ」

 久々に丸ごと取れた大型連休と言ってもやることは大体普段出来ない読書や二度寝三度寝くらいだ。何かやることがある時はそうでもないが、少なくとも今回の連休はそうなる。あまり関心があるわけではないがイベントごとがあるならいい暇つぶしになるだろう。

 ルイスが参加表明をするとロドリグはほっとした様子で表情を緩めた。しかしその直後、ルイスの横でガツガツと食事に熱中していたレオンがその表情を再び固くさせる。

「俺は行かん」

 あっさりと言ってのけるレオンをルイスは呆れた眼差しを向けた。

「……中佐、少しは空気読んだらどうです? ご飯までご馳走になってるのに。どうせあなたも暇でしょう?」

「どうせ言うな! 明日は用事が……ごほっ。いや、用事じゃない! 断じて用事なんかない。飯食わせてくれたのは感謝するがそれは話が別だ。俺は行かん」

「そんなこと言わないで行きましょうよ兄上ー!」

「どわぁ!?」

 扉を開け放つや猛烈な勢いで飛び込んできてレオンに飛びつく少女の影ひとつ。レオンはその勢いに負け少女ごと椅子から落ちてしまう。 咄嗟(とっさ) のことであるのにしっかり彼女を支え床に着かないようにしていることに (はた) から見ていたルイスは感心し、実際に体感した少女は赤い瞳を潤ませ感激したように両手を組んでレオンを見つめる。

「あああ兄上ぇぇ、私のこと守ってくれたんですね。嬉しいですぅぅ! 兄上のご活躍でリーは怪我ひとつしてませんよ!」

「抱きつくな! 下りろリーッ!!」

 ぎゃあぎゃあと叫ぶ2人の姿に、相変わらず元気な兄妹だとルイスは笑顔で息を吐いた。

 飛び込んできた影はレオンと全く同じ色彩の髪と目をしているが顔つきは大変柔和である。彼女はレオンの妹リーナ・ベルモンド。陸軍所属の 兄上至上主義(ブラコン) 娘だ。

 今日は兄ともどもロドリグの招待を受けてエリオット家別邸に訪れており、来たのが早かったので先ほどまでは別室で本を読んでいた。支度が出来たと呼んだ時ちょうど物語がいいところだったらしく、後から行くと言われて約20分。どうやら今の今まで読んでいたようだ。

 本を読んで遅れるというのは彼女にはよくある。貴族の娘にしては少々はしたないが、自宅を離れている間くらいはとロドリグもルイスも容認している。ちなみに実の兄はあまり興味がないらしく特別何か言うこともない。

「兄上、私の買い物付き合ってくださるのは午前だけでいいです。だから午後は皆さんとパーティしましょう? ね?」

「だああああっ、黙れリーッ!!」

 上半身を跳ね起こし、両手を握り合わせて「お願いしてくる」妹の口を即座に塞ぐレオン。真っ赤になる彼を見下ろし、ルイスはふっと馬鹿にしたような笑みを一瞬だけ浮かべると紳士的な笑顔をリーナに向ける。

「ああ、用事ってリーナさんとデートでしたか」

「やだヴォネガさん! そうなんですよ。駄目元でお誘いしたら『行ってやる』って言ってくださって」

 口を塞いでいた兄の手を掴んで剥がすとリーナは頬を上気させてルイスの納得を肯定した。その間も兄の手を放さないのが彼女らしい。

「お前が断っても断っても断ってもしつこく頼んでくるからだろうがっ。最終的に泣き落としまで使いやがって……っ。っていうかお前も何ださっきの含み笑いは! 言いたいことがあるなら言えっっ!!」

 火山のように怒りを露にしてレオンはリーナの手を振り払い指をルイスに突きつける。悠々とパスタを口に運んでいたルイスは先ほどと同じ笑みを浮かべ彼から目を逸らした。

「いえいえ何も? 陸軍中佐殿ともあろう方が妹君振り回されておいでとはなんて微塵も思ってないですよ?」

「しっかり思ってるじゃねぇか……。テメェ一昨日書類ぶちまけたのまだ根に持ってやがんな」

 思い起こすは2日前。連休前ということで仕事を片付けるのに張り切っていたルイスの元に早々に自分の仕事を片付けわざわざ海軍司令部にまで遊び(邪魔し)に来たレオンは積んでいた書類を盛大にぶちまけてくれた。その整理のために本来なら帰れるはずだった時間にはまだ仕事をしなくてはならかったのだ。全ては迂闊な陸軍中佐殿のために。

「いいえ。これっぽっちも怒ってませんよ」

 棘だらけの笑顔と返答にレオンは舌打ちして睨みつける。

「しつけぇな。ちゃんと片付けも整理も手伝ってやっただろうが!」

「そもそも中佐がぼんやり歩いてなければあんなことにならなかったんですよ!」

 珍しく強気でレオンを睨み返すと、さすがに悪いと自覚していたらしくこれもまた珍しくレオンは引き下がった。机の上に積んでいたとはいえ自分の身長を越える書類を崩したのはいくら傍若無人の気のあるレオンでも反省するらしい。

 ルイスは鼻を鳴らして彼から目を逸らし再びパスタを口に運ぶ。

「ええと、ベルモンドさん、リーナさんもこう仰ってますし参加しません? 何かお好きなもの作って持って行きますよ?」

 ルイスとレオンの言い合いにハラハラしていたロドリグは何とか事なきを得て終了したことにほっとしながらもうひとつの問題解決に取り掛かる。食べ物で釣るなんて安い手段かと危ぶみ頭の中で別の策を練り始めるが、その必要がないことが2秒後明らかとなった。

「……好きなもの……」

 安い手だがレオンは目を輝かせ本気で揺らぐ。ロドリグは内心で「それでいいのか」と思ったが結果的にはありがたいので口には出さない。

「はい。何でも言ってください」

「…………し、仕方ないな。行ってやる。言っておくが食べ物に釣られたわけじゃないからなっ」

 しっかり食べ物に釣られてるじゃないか。ルイスはしっかり餌付けされているレオンとちゃっかり餌付けしているロドリグに力なく笑った。どうにもレオンはエリオット家の人間に弱い気がする。

「そういえば、参加するのって私たちの他にどなたかいらっしゃるんですか?」

 ようやく落ち着いて自席に戻ってサラダを手につけたリーナが問いかけると、紅茶をそれぞれに出しながらロドリグはマリアンヌに聞いた参加者をそらんじる。

「そうですね。私たちの他にはキャロルさんとラザフォードさんを招くと言ってました。あと、お姉さんもと思ってたらしいんですけど、さすがに用事があったらしくて駄目だったようです」

 さもありなんな残りの参加者にルイスもサラダに手をつけて苦い顔をした。

 ことあるごとに仕事の残処理手伝いのために拉致られ――――もとい、駆り(貸し)出されるので彼らにはあまりいい思い出がない。だがマリアンヌと、昔ミネルヴァの搭乗員だったパンダは特にロベッタ・キャロルを気に入っている。

 それが今でも変わらない以上、彼らが呼ばれるのは予想の範囲だ。

「あとは――――返事待ちらしいんですよ」

 前から計画してたので事前に都合は聞いていたらしいですよ。付け足してロドリグに笑顔を向けられ、ルイスは首を傾げる。一体誰のことだろうか。

 聞いてみようかと思ったその時、廊下を慌しく――というより元気いっぱいに駆ける騒がしい音が聞こえてきた。誰だ、とは誰も問わない。別邸とはいえ名門エリオット家の中でそんな暴挙に出れるのは1人しかいない。

「こっんにっちはー! あたしさーんじょぉーう!!」

 いつもより一層激しいスーパーハイテンションモードの最後の招待客をロドリグは冷静に迎えた。大人と言うべきなのか慣れていると言うべきなのか一瞬ルイスは迷う。

「ご機嫌ですねマリアンヌ。返事が来ましたか?」

「エリオットさん正解(せいかーい)! しかもしかも! 参加だって。やったねっ」

 踊りだしそうな上機嫌ぶりにルイスとリーナは目をぱちくりさせ、やや呆れ気味のレオンは頬杖をつきながらそのマリアンヌに声をかけた。

「おい、誰が来んだ?」

 マリアンヌのテンションが上がりやすいのはすでに学んでいるルイス達だが、ルイスにしても久しぶりだし、レオンとリーナはこれほどの状態は初めてだ。レオンはわざわざ自分が訊かなくても、とは思ったが気になったのは事実なので他2人より比較的落ち着いていたため代表してその原因を尋ねる。

 マリアンヌは太陽のような明るい笑顔で持っていた手紙を誇らしげに開いて皆に向けて見せ付けた。そこには「参加する」という類の単語が並んでいるが、結局誰なのか分からないベルモンド兄妹は疑問符が飛び散らかりそうな表情のままだ。

 しかしその中でただ1人、その筆跡に覚えのあるルイスだけが目を見開いている。

 忘れもしない。少し癖のあるあの字。その主。

 マリアンヌはにんまり笑って大声でその主の名前を口にした。

「なーんと! 元巡洋艦ミネルヴァ艦長エリザベス・ナディカさん参加決定ーー!!」

 どこから取り出したのか花びらを撒き散らすマリアンヌ。リーナの「誰ですか?」という問いも、レオンの「げっ、あの女中佐かよ」という嫌そうな声も、ロドリグの「懐かしいですね」という言葉も、今のルイスの耳には入らない。

 口の中の物を飲み落とした音だけが、やけにはっきり耳の奥に響いた。

後編・2

 第二都市某ホテル内にて、トマスは鏡の前で首元にリボンを結んでいる。いつもよりずっとお洒落な格好の自分が鏡に映ると思わず顔がにやけてしまう。小さい頃や下男時代にはこんな格好が出来るなんて思いもしなかった。まして、こんな高いホテルに個室で泊まれるなんて夢のようだ。

 これというのも全て、エリザベスに拾ってもらえたからだ。トマスは完成した自分を確認し終わると、別の部屋で仕事をしている恩人の元に向かう。

「姐さん、もう5時30分ですよ。ここから10分で集合場所着くって言ってもそろそろ切り上げないと間に合いませんよ? せっかくマリアンヌさんが誘ってくれたのに」

 ノックをして隣の部屋のドアを開ける。声をかけると机の上で何か書いていた藤色の髪と青い目をした女性――――元巡洋艦ミネルヴァ艦長エリザベス・ナディカは顔を上げて秘書である少年を視界に入れる。しっかりめかしこんでいる彼を見てエリザベスは改めて時計に目をやった。

「ああもうこんな時間か。6時に中央ツリーに集合だったな。そろそろ準備をするか」

 ペンを置いて立ち上がるエリザベスの顔――というより肌はひどく荒れている。それが聖なる前夜(クリスマスイヴ)を迎えた女性の状態かと言いたくなったが、トマスは敢えてそれを飲み込んだ。わざわざ言わなくても自覚しているだろうし、そもそもそんなことを気にするような人ではない。

「この間マリアンヌさんが送ってくれたドレスでいいんですよね? 出して来るッス――じゃない、出してきます」

「――――ああ、頼む」

 秘書らしからぬ言葉遣いを注意しようかと瞬時迷うが自分で気付いて直したのでエリザベスは特別注意を口にせず、代わりに素直に気遣いを受け入れた。

 トマスがクローゼットのある別室に姿を消すと、立ち上がったエリザベスは大きく体を伸ばす。随分長い間仕事をしていたせいか体はすっかり固まってしまっていた。

 シャワーを浴びている時間はないが顔ぐらいは洗っていこうか。洗面所に足を向けると、見計らったように部屋のドアがノックされる。入室を許可するとホテルの従業員の女性が顔を出した。

「ナディカ様、フロントでご用事があると仰っているお客様がお越しです」

「客? 誰だ?」

「お名前を窺ったのですが、これを見せれば分かると――――」

 差し出されたのは封筒だった。中に紙が入っているらしい。エリザベスは手早くそれを切って中身を取り出す。入っていたのは1枚のメッセージカード。中身を読んでその表情は一気に険しくなった。

「――――すぐに行く。ノーランド」

 呼びかけるとトマスはすぐに顔を出す。

「何ですか?」

 手にされているのはハンガーにかかったマリアンヌ手製のドレス。「絶対これ着て来てね」と何度も念を押されたものだ。もしかしたら着れずに終わるかもしれないと思うと皮肉な笑みが浮かんでしまう。

「私は少し用事が出来たから先に行け。全員揃ったら先にマリアンヌの家に行ってはじめてても構わんと言っておけ。マリアンヌの家なら自分で行ける」

「え、そんな姐さん。だったら俺も残りますよ。皆さんには連絡入れておけば……」

 いいじゃないですか、と続くはずだった言葉をトマスはすぐに飲み込んだ。こちらを見るエリザベスの目が彼女の言葉に逆らうことを許さないと告げているから。あの目をしている時の彼女に無駄な詮索はしてはいけない。トマスはただ黙って彼女の言う通りにすればいいのだ。

「――――分かりました。じゃあ、俺もう出ますね。向こうで待ってますから、気をつけてくださいね」

 ベッドの上にドレスを置いて頭を下げるとトマスはエリザベスと従業員の女性の横を通り過ぎて部屋を出て行った。それを目の端で見送り、エリザベスは女性の案内に従って部屋を出る。


*** *** ***


 午後6時。冬の世界はすでに真っ暗なベールに包まれている。その中輝かしい光を放つツリーの前で思い思いの品を持つパーティ参加者達は、何故か大量の菓子パンを買って持ってきたトマスの報告にそれぞれの表情をした。

「えぇー、リズさん来ないのー?」

 不満を隠さないマリアンヌの言葉をトマスは慌てて否定する。

「いや、来ますよ。ただすぐには来れないから皆さん揃ったら先に行ってはじめてていいってだけで。ちょっと出かけに仕事が入っちゃって」

 正しく仕事なのかはトマスにも分からない。だがここでわざわざ馬鹿正直にそう言ってしまうこともないだろう。言っても彼女たちを不安にさせるだけだとトマスはちゃんと分かっている。

「お仕事なら仕方ないですよマリアンヌさん。大丈夫。絶対来てくださいますよ」

 赤を基調にしたマリアンヌ手製のコートを身に付けているリーナが頬を膨らませるマリアンヌを慰める。トマスに会ったことはあってもエリザベスに会ったことのないリーナとしてはぜひ来てもらいたいのでその希望も若干混ざっていた。兄は苦手らしいが他の面々は彼女を語る時必ず笑顔なので、会うのをとても楽しみにしている。

「――――さて、約束の6時になっちゃいましたけど……どうします?」

 時計に目をやったロドリグは一同を見渡した。

「もう行こうぜ。あの女中佐だってそう言ってたんだろ?」

 とはレオン。

「そうだねー、ここで待っているって言うのは彼女嫌がるだろうなー」

 とはロベッタ・キャロル。

「同感です。自分の都合に他の方を巻き込んでしまうのは嫌なものです。ナディカさんは特にその傾向が顕著だと思います」

 とはジュリア・ラザフォード。

 3名の意見ももっともだと思うのかマリアンヌは唸りだす。ちらりと目をやったリーナも控えめに頷いている。トマスは元よりエリザベスに「先に行け」と言い付かってやってきたのだから聞くまでもない。エリオットも困ったように笑っているがそれは恐らくレオンたちと同意見だからだろう。

 少しの間悩んでから、マリアンヌはじっと黙り込んでいるルイスに声をかけた。

「ヴォネガさんはどう? もう行くべきだと思う?」

 顔を覗き込まれ、ワインを入れた紙袋を抱えていたルイスは小さく微笑む。

「――――そうですね。艦長はそれは嫌がると思います」

 あの頃と変わらないあの人なら、きっと。

 ルイスも同意したのを見て、マリアンヌは観念して出発を促した。

後編・3

 やっと開放された。大きく息を吐いたエリザベスは自室に戻り時間を改める。針はすでに9時過ぎを差していた。予想通り約束の時間は遙かに過ぎてしまっている。

 この時間ではもう終わっているか。だがマリアンヌ主催で、あの騒がしいメンバーだ。トマスもまだ帰って来ていないし、もしかしたらまだやっているかもしれない。

「――――行ってみるか。最悪顔を出すだけでもいいだろう」

 自分に言い聞かせるように今入ったばかりの扉をくぐり直す。もはや着替えている時間どころか顔を洗って化粧を直す時間もない。マリアンヌに心の中で謝りながらエリザベスは駆け出した。



 ホテルを出てすぐに馬車を拾ったエリザベスはロダー家に行くように言いつける。御者は了解を口にすると馬に鞭を打って走り出した。それからしばらくの間は黙って窓の外を見ていたが、視界にこの時期特有の光を見て思わず馬車を止めるように言ってしまう。

 言われたとおり馬車を止めた御者に「やっぱりいい」とも言えず、エリザベスは馬車を降り、そんな時間はないと分かりながらも色とりどりのまばゆい輝きを放つツリーを見上げた。久々に見たツリーの美しさに少しの間だけ見とれ、辺りを見回す。

「……よし、いないな」

 マリアンヌの性格だとここに留まってエリザベスを待つことをしてしまいそうだと危惧していたのだが、どうやらそれはなかったらしい。ロドリグか誰かが説得でもしたのだろう。安心したエリザベスはすぐに馬車に戻ろうと踵を返した。

 本当なら3時間ほど前にここで懐かしい面々と顔を合わせていたのに。そう考えると一抹の寂しさを覚えるが、ロダー家に行けば結局叶うのだから同じことだと言い聞かせて、何かに絡まるように動きを止めたがる足を動かす。

 その背に、声がかけられた。

「艦長」

 それはひどく懐かしい、けれどとても、聞き慣れた声。

 振り返ったエリザベスの視界に入ったのは寒さゆえか顔を赤くした元副官。コートとマフラーは暖かそうなのに、まるで長時間ここにいたかのようなその様子に、エリザベスはすぐにまさにその通りだということを悟る。

 彼は待っていたのだ。ずっとここで、エリザベスが来るのを。

「~~おっ」

「『お前は馬鹿か』」

 怒鳴ろうと思っていたことを先んじられエリザベスはポカンとする。その様を見てルイスは微笑んだ。

「――――ですか? 艦長が来るとも分からないのにこんな所で待ってるなんて、確かに馬鹿みたいですよね。皆にも言われました。トマス君にも、『姐さんなら直接来ますよ』って言われましたし。……でも、ここで待ちたかったんです」

 来る気がしたから。そう締めくくったルイスは覚悟したように目を瞑った。これは殴られる覚悟だなと分かってしまうのもそれを覚悟させてしまうのも過去の自分の行いのせいだろう。

 エリザベスは肩を竦めるとお望み通りと言うように拳でルイスの頭を殴りつける。しかし目を開けたルイスの表情には驚きが浮かんだ。というのも、その威力が想像していたよりもずっと弱かったため。

「艦長?」

 体調でも悪いのかと言外に含めた呼びかけ。エリザベスは呆れたような笑みを浮かべる。

「気を遣わせたのは私だからな。これで力いっぱい殴ったら単なる悪者だろうが」

 馬鹿な真似をしたと思っている。けれどその馬鹿な真似に、喜んでしまっている自分も確かにいるわけで。これはもしかしたらその照れ隠しなのかもしれない。そんな柄にもないことを考える。

「艦長らしい理由ですね」

「……それにしても、お前のその呼び方は本当に直らないな。私はもう艦長じゃないと言っているだろう」

 軍を辞めてからどれだけ経っていると思っているのか。何度言っても直らないこれは、今もどうやら同じらしい。「そうは言っても」と言いたがっているのがよく分かる。存外融通が利かない元部下に小さく息を吐き出し、エリザベスは再び歩き出した。今度の足取りはどこか軽い。

「まあいい。――――とは言っても、聖なる夜にまで仕事を持ち出すのもいかがなものかとは思うがな」

 そのせいで遅刻した自分の台詞ではないかもしれないが、そう考えてしまうのも嘘ではない。改善の見込めないことだからこそ言える文句もあると言うことだ。

「ほら、行くぞ。お前も乗れ。ロダー家に行く」

「あ、はい。――――」

 その時ルイスが口にしたことを聞いて、エリザベスは本日一番「柄にもない」感情に(とら) われた。


*** *** ***


 その頃ロダー家の敷地内にある本邸より小さな(それでも一般家屋の10倍はありそうな)屋敷は見事などんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。

「はいベルモンドさん(ばっつ)ゲーム決定ぇっ!! MinM冬の新作セット試着よっ」

「はあぁ!? ちょっ、ふざけんなこら! 絶対着ないからなっ!!」

「こらこら駄目だよベルモンド君。ゲームはゲームだ。さ、ルールに従わなくちゃ」

「抵抗なさるようでしたら対ヴォネガ少佐用に鍛え上げたこの捕縛術で――――」

 狩人の目になるジュリアが纏うのは胸元の大きく開いたドレス。彼女が着てきたものではなく今のレオン同様罰ゲームの結果である。捕縛術披露すら惜しまないのは仲間を増やしたいがため。

「それにしても姐さん遅いですねー。ヴォネガさんも、大丈夫ッスかね?」

 窓の外を覗き込み心配そうな顔をするトマスだが、そんな彼も着ているのはフリフリレースのブラウスとスカートのためいまいち締まりがない。

「そうですね。でももう9時過ぎましたし、ヴォネガさんはもう少ししたら来ますよ。ちゃんと待つのは9時までって約束しましたし。ナディカさんもきっと来れますよ。――――正直、この騒ぎが収まるのは明け方入ってからでしょうし」

 すでに諦めたようにロドリグは乾いた笑いをこぼした。すでに両手の数以上重ねられた真剣勝負を全て真剣に取り組み勝ち抜いた彼はマリアンヌの魔の手からは逃れている。

「――――ですね。じゃあ、俺も楽しみます。マリアンヌさーん、協力しまーす」

「ナイスよトマス君! じゃ、そっち押さえて!! ミリーはこっち。リーちゃんはあっち」

「かしこまりました」

「兄上、ご容赦ください」

「てーめーえーらぁぁぁぁぁ!!!!」

「あはは……」

 シャンパンにはじまりワインが続き、皆すっかり出来上がっている。酒に強い面々はあまりいつもと変わらないように見えるが、楽しめるだけのテンションにはなっているようだ。

 ロドリグはトマスが持ってきた菓子パンをひとつ摘み上げ口に運ぶ。見上げた空にはきれいな星空が輝いていて、とても空気が冷えて澄んでいることが予測できた。

「……本当に、大丈夫ですよね? 2人とも」

後編・4

 こんな日にまで仕事を持ち込むな。そう言ってエリザベスが疲れたように笑ったのが原因だ。いつもそんな顔しないから理由は それ(・・) しか考えられないと思って、口にしていた。

「あ、はい。リズさん」

 確かマリアンヌがそう呼んでいたはずだと思いだしながら呼び方を変えてみる。艦長からこれは違和感がありすぎて仕方ないが、これで彼女が満足してくれるならいいだろう。そう思った。だが、振り返った彼女から返されたのは返事ではなく拳だった。

「え」

 殴られたことよりもその時のエリザベスの表情の方がルイスを驚かせる。基本的にいつも飄々としているか凛としているか硬い表情をしているかの彼女が、頬を赤くしていた。

「~~お、お前は、ファミリーネームを何だと……っ!!」

「え、あ……あっ!」

 言われて気付く。そうだ。職名でなくとも名前で呼ぶなら苗字で呼べばいい。なのに、何をとち狂ったか呼びかけたのは愛称で。長い間寒い所にいたせいで思考が凍りついたのか、言われてはじめてそれに気が付いたルイスはエリザベスのそれが移ったように、今まで以上に頬を染めた。

「すすす、すみませんっ。他意があったわけじゃなくて、自然に出てきたって言うか、あの……っ!!」

 別に、女性の扱いが苦手なわけではない。これでいてもう何人も女性とは付き合ってきている。その中には愛称で呼んでいた (ひと) だっている。けれど、何故だろう。エリザベス相手だとその調子が出ない。

 慌てるあまり言い訳の言葉すら出てこない。結局真っ赤になって停止してしまうと、エリザベスの方がまだ少し赤い顔で憮然としながら「もういい」と言ってきた。

「もう行くぞ。早く乗れ」

「は、はい。……その、ナディカさん」

 改めて言い直して彼女が乗ってきた馬車に続いて乗り込む。そして彼女が乗った側と向かいの席に座った。指示をしなくとも空気を呼んだ御者が走り出すと、蹄が石畳を蹴る音と車輪が回る音だけが2人の間を埋める。

 薄暗い馬車の中で、それでもルイスはエリザベスに目を向けることは出来なかった。昔は彼女と2人でいることなんてなんともなかったのに、長く離れてしまったせいかそれとも単に先ほどのことがばつが悪いのか今はどうしたらいいのか分からなくて仕方ない。

 変に胸が脈打つのは何故だろうか。寒いはずなのにどこか熱い気がするのは何故だろうか。

 何か考えようとすると頭の中がごちゃごちゃになるので何も考えないようにしていると、突然向かいから大きな音がした。驚いてそちらに目を向けると、エリザベスが頭を抱えている。……察するに、頭をぶつけたのだろう。

「……ね、眠いんですか?」

「……否定はせん」

 よほど根をつめて仕事をしているのだろう。彼女は昔から何かはじめるととことんやる人だった。

「……ヴォネガ。こっちに来い」

「へ?」

「…………肩を貸せ。ロダー家に着くまで寝る」

 つまり枕になれと言っているらしい。もはや頭は眠りの (もや) に巻かれて理性的に物事を考えられるだけの働きは出来ないのだろう。いつもの彼女なら決して言わないことを平然と言ってのけている。

 しばらく硬直して返答に困っていると、鬼のような目で睨まれ急かされた。ルイスは昔の癖で返事をするときびきびとした動きで彼女の横に座る。その自分の反射とも言える行動を自覚したのは彼女の頭が自分の肩に乗った時だ。

 軽く混乱したルイスだが、窓から断続的に差し込む街灯の明かりに照らされた彼女の顔を見たら一気に落ち着きを取り戻した。

 少し差し込む程度の街灯の明かりでも分かるほど、すっかり寝入ってしまった彼女の疲れは顔に出ている。少しやせた。やつれるような意味で。目の下には濃いクマもある。肌の調子もあまり良くないように見えた。元々気にする人ではないがここまでひどい状態ははじめて見た。

「――――艦長、僕はあの時、少しだけあなたのことを恨みました」

 彼女が軍を辞めたこと。自分に相談のひとつもなかったこと。一番近くにいたつもりなのにそう思ってはくれていなかったのだと悲しくなった。

「今も少しだけ寂しい気もします。あなたがこんなに頑張っていることが何なのか、僕はノーランド君よりも知らない」

 別に、昔に戻りたいわけではない。今の立場を捨てる気はないし、トマスに成り代わりたいとも思わない。そんなこと考えているならマリアンヌやロドリグと違って手紙のひとつ交わしたことのない現状から変えるべきだろう。けれど、きっとそれは今ではない。

 執着がないわけではない。だが彼女がやろうとしていることに今自分が口を出すべきではないのだろうと感じている。だから彼女も自分にも他の者にも何も言わない。

 けれど、いつか彼女がそれでも自分に今何しているかを話してきて、そして自分の助けが必要だと言ってくれるなら、もしかしたら――――。

「――――なんて、戯言ですね」

 自嘲を含んだ笑みを浮かべ自分の肩に寄りかかっているエリザベスの頭の上に更に自分の頭を乗せる。そして、そっとその手を取った。完全に寝入ってしまっているらしくエリザベスに起きる気配はない。

「けど、今夜だけは戯言のひとつ許されますよね?」

 この聖なる夜なら、願うつもりもない夢を見たって許されないだろうか。たとえば、あなたについて行きたかった。あなたを支えていたかった。――――なんて、そんな夢。

「……そんなの単なる、戯言ですけどね……」

 呟き、気が付くと握り締めていた手を、ゆっくり上げる。そして、口元まで持ってきたそれにそっと口付けを落とした。

「――――メリークリスマス、“     ”――――」

 ルイスはそっと呟いた。言葉にしてはいけないその言葉を。この夜だけは呟かせて欲しいと願ってしまった、その言葉を。

 けれどその言葉を聞く者は誰もいない。その言葉を向けられた彼女にすら聞こえない。聞くもののいないそれは、聖なる夜の落し物。

 ふと街から聞こえてきたのは、一昔前にはやったクリスマスソングだったろうか。

おまけ

 とある街道で、夜の帳の中をエンジン音を響かせ走る1台のバイクがあった。運転しているのは褐色の肌の中肉中背の男で、サイドカーには金の髪をなびかせる青年が座っている。

「次の宿はもうちょい先だな。もちっと待ってなサイラス」

 豪快な笑い声を立てる男に、青年――――サイラスはともすれば風に掻き消えそうな小さな声で了解を口にした。男は慣れているのか気にした様子もない。

「……パンダ、ラジオつけるよ」

 サイドカー側のバイク側面にくくりつけているラジオに手を伸ばしたサイラスは返事を聞く前にラジオのスイッチを入れる。最初に聞こえたのは砂嵐だが、少し調整するとすぐに音楽が聞こえてきた。それは懐かしいクリスマスソング。サイラスは子供の頃一番大好きだった人がよく歌ってくれた懐かしいそれに目を細める。思い浮かぶのは、もちろんその人の姿。

 すっかり日付感覚のなくなっていたパンダと呼ばれた男は「おお」と声を上げる。

「もうそんな時期か。早いもんだねぃ。ってか今日か! 旅してると感覚狂っていけねぇや」

「そうだね。……パンダ?」

 毛布を被った膝を抱えるサイラスは呼びかけに答えたパンダに小さく尋ねた。

「これ、歌ってていい?」

「お? 珍しいな。おー、いいぜいいぜ。歌ってろぃ」

「……ありがと」

 礼を述べ、サイラスは口ずさむ。懐かしさと愛しさをたくさん詰め込んだ、優しいクリスマスソングを。

 パンダはアクセルを捻ってバイクを操る。

 友の口ずさむ、クリスマスソングを聴きながら。

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