それはある日の昼下がり。エリオット家別邸で昼食を終えた一同がのんびりとくつろいでいる時だった。
「やあ諸君! 久しいが元気にしていたかね?」
扉を大げさに開いて現れたのは満面の笑みを浮かべたテンションの高いひとりの青年――パトリック・ジェラルディーンだ。突然の来訪者に面識のあるルイス・ロドリグ・レオンは諦め・驚き・嫌悪を浮かべ、面識のないマリアンヌ・リーナ・エイミーはポカンとする。しかしパトリックはそんな空気は微塵も気にせず笑顔のままだ。
「おや、いい匂いだね。私も外で済ませないでここに来ておけばよかったかな? ああ君、私にもお茶をくれるかね」
通りかかったメイドにちゃっかりとお茶を頼んだパトリックが部屋に踏み込んでくると、そこでようやくロドリグが正気を取り戻して立ち上がった。
「パ、パトリックさん。ええと、いらっしゃいませ。いきなりどうなさいました?」
困惑しながらも一応迎える気持ちは見せるのが実に彼らしい。
「いや、特に用事はないよ。こちらの方に来る用事があったんだけど想像以上に早く終わってしまってね。今日は弟君もルイス君もダイヤモンド君もお休みみたいだから、こっちに遊びにきたんだよ」
せめて連絡を入れる気にはならなかったのだろうかとルイスたちの内心での突っ込みは完全に一致する。その様子を黙って見ていたマリアンヌは、言葉が切れたのを見計らって手を上げた。
「はいはーい。その人誰ー? エリオットさんたちは知ってるみたいだけど。お友だ――」
「こちらは兄さんの友人のパトリック・ジェラルディーンさんですよ。兄さんの友人の」
言葉尻を攫うようにロドリグが笑顔で問いかけに答える。大事なことなので二回繰り返された部分の物言いでマリアンヌは彼の感情を悟ってにやにやとしていた。そのにやにや顔にロドリグが苦い笑みを返していると、パトリックは何かに気付いたように「ああ」と声を漏らす。
「君はもしかしてマリアンヌ・ロダー君かな? 『MinM』のオーナーが弟君の部下にいると聞いていたんだ。私もまだ数着しか見ていないが、美しいデザインだね。きっといつかもっと有名になるよ。私が保証しよう」
言下手を差し出したかと思うと、パトリックは椅子の背もたれに置かれていたマリアンヌの手を取り強引に握手した。そこで拒否や躊躇いを抱くのが普通の反応だろうが、元より人見知りをしないマリアンヌは、自身の個人ブランドを褒められた嬉しさもあり満面の笑みで握手に応じる。テンションの高い二人の空気が混ざると周囲の照度が上がった気がしてエリオットは軽く目をこすった。
「ん、こちらのお嬢さんの色合いは……君はダイヤモンド君の妹君かね?」
マリアンヌとの挨拶を済ませたパトリックは彼女の隣にいたリーナに視線を向ける。ダイヤモンド君に該当する相手がすぐに分からなかったリーナだが、向かい側からレオンが「だからダイヤモンドじゃねぇ!」と否定の声を上げたので兄のことだと理解した。
ならばダイヤモンドとはどういうことだろう、と考え出し、彼女の
つまり、兄・レオンがダイヤモンドのように輝かしく立派であるゆえだろう、と。
「はいっ、私妹です」
「こらリー! お前今頭ん中でどういう展開させた!?」
否定するどころか目を輝かせ肯定する妹にレオンは慌てた様子を見せた。しかし、リーナの中でパトリックはすっかり「兄上を認めてくれる人」になっている。……事実が逆であるとは言い出せずロドリグはそっと視線を逸らした。
「それから――失礼。そちらのお嬢さんは?」
朗らかに問いかけられびくりと体を跳ねさせたのは隅の席で必死に小さく小さくなろうとしていたエイミーだ。本日の彼女は、昼食をマリアンヌとリーナに誘われ疑いもせずについてきたらエリオット家に招かれてしまった哀れな子羊である。帰ろうとしたのを引き止められ、場違いな空気をひしひしと感じつつロドリグの料理に舌鼓を打って落ち込んだり、逆に「家庭の味」のレシピを聞かれたりしててんやわんやだった。
もう何も起こらないだろうと安心していたらこの事態である。気付かれ尋ねられた以上どうぞ私のことは気にせずにとは言えず、エイミーは必死で笑顔を作った。
「エ、エイミー・ウィルソンと申します」
「ああ、エイミー君だね。よろしく、パトリック・ジェラルディーンだ。ところでこのメンバーに含まっているということは君も軍の人間かい?」
「は、はい。女子部の――」
「なるほど。どうだね? 軍は慣れたかい?」
あれやこれやと問われ、エイミーはあたふたとしながらも受け答えする。しかしそれもやり取りが10を越える頃になると辛くなってくるらしい。ちらちらと視線が助けを求めるように彷徨うようになってきた。
気が付いたルイスは無視するわけにも行かないので小さなため息をついてからパトリックに声をかける。
「パトリックさん、こう言っては何ですが、ようするに暇だったんですか?」
呆れた笑みを浮かべつつルイスが問えば、パトリックは少しも躊躇わず「その通り」と返答した。
「こちらの知人と時間が合わなくてね。何か面白いことでもないかと思ってここに来てみたんだよ」
見世物小屋ではないんだがとロドリグが苦笑していると、レオンがその通りのことを口にしかけ――言葉を飲み込む。彼にしては珍しい歯切れの悪さにパトリックは首を傾げるが、同じことを思っただろう面々は何故かパトリックを見て一様に絶句していた。いや、その視線の向きは――。
「私の後ろに何かあるのか……ね――」
問いかけつつ振り向いて、パトリックは同様に言葉を失う。目の前で起こっている事態に思考が付いていかなかった。
そこにあるのは扉のはずだったが、それと今パトリックが立っている場所の丁度中間辺りの空間がほぼ円形に歪んでいる。大きさはパトリックが両腕を広げた幅よりも若干大きいくらいだろうか。歪みの中はまるで景色を溶かした水が渦巻いているようで、見ていると引き込まれそうな気がする。
しかし、そう思った瞬間パトリックははっとした。気がするのではない。本当にひきずられている。
「ちょっ、ちょっ、えっ!? な、何ですかこれ!?」
「きゃあああっ、何何何ー!?」 「ああああ兄上ぇぇぇ」
「リー、動くな!」
「うわわっ、ひ、引きずられるぅぅ」
「どうなって――うわっ!」
ロドリグたちが混乱する声が聞こえてきたと思うと、最後のルイスの悲鳴と共にひきつける力は一層強くなり、その場にいた全員が歪みの中に引きずり込まれてしまった。それと同時に歪みはふっと掻き消える。
物言う存在が全て消え去りしんと静まり返る部屋にノックの音が響き、次いで先程お茶を頼まれたメイドがワゴンを押しながら入室してきた。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました――あら?」
誰もいなくなった部屋を見回し、メイドは首を傾げる。
*** *** ***
ふわりと柔らかな風が吹く。青い草の匂いが鼻腔に届けられた時、パトリックはハッと正気に戻った。そして、まず一緒に巻き込まれた面々の安否を確認する。ルイス、ロドリグ、レオン、マリアンヌ、リーナ、エイミー。全員いる。呆然としてはいるが、誰も怪我はしていなさそうだ。
次に周囲を見渡した。パトリックたちがいるのは品よく整えられた室内ではなくどこかの草原だ。先ほどからやむことのない風に撫でられてはさらさらと音を立ててお辞儀している。
「こ、ここは一体……?」
同じく正気に戻ったらしいロドリグが落ち着かない様子で周囲を見回した。すると、突然レオンが立ち上がり背後を振り返る。剣を抜こうとしたのか腰に手を当てるがリラックスタイムを送っていたためそこに目当ての物はなく、盛大に舌打ちした。
レオンの反応に全員が背後を振り向くと、そこには二人の人物が立っている。ひとりはやけに豪奢な衣装をまとったダークシアンの髪をした青年。もうひとりは赤を基調とした衣装に身を包む黒い髪の少年だ。青年は面白そうな表情を浮かべ、少年は大口を開けて「何てことを」と言いたげな表情を浮かべている。
「ほう、これは素晴らしい。本館にいる峻厳の君を呼び出そうとしたらどうやら別世界の住民を呼び出してしまったようだ」
表情に合った嬉々とした声音で青年が口にすると、隣に立っていた少年は慌てた様子で彼の両肩を掴んだ。
「いや凄いですけど何やっちゃってるんですかあなた!? 何をどうしたらこの世界にいる相手を呼び出す時に別世界につなげられるんですか?」
「む? 聞きたいかね? いいかい、まず最初の論理だが――」
「そういう説明は後にしてください! あの、皆さん」
少年は青年との会話を無理やり打ち切りパトリックたちに向かってゆっくりと一歩だけ近付いた。その際両手は頭の高さまで上げ、無害であることを証明しようとしている様子を見せる。
「私はラルム・エーデルフェルト。こちらはフェランド・ダヴィアという者です。急な事態で驚かれているとは思いますが、まずは私の話を聞いてください」
ラルムと名乗った少年はそこからゆっくりと話し始めた。曰く、この場にいる7人は青年ことフェランドの魔法によってこの世界に飛ばされてきたのだという。それは何がしかの意思があってのことではなく、単純に魔法が予想とは違う効果を発揮したためで――いわゆる誤動作したため。
魔法というおとぎ話や演劇の世界の言葉を使われ最初は怪訝そうにしていた一同は、しかしフェランドによって空中に浮かされてそれを信じざるを得なくなる。ちなみにフェランドはこの後ラルムに大いに叱られていた。
「それでですね、この地にはちゃんと迷い込んできた方々を送り返すための方法もありますので、帰りの心配は大丈夫です。ただあなた方の世界を見つけなくてはいけませんので、少しの間はお待ちいただくことになります。……えー、ここまではよろしいでしょうか?」
申し訳なさそうにラルムが確認すると、納得しないわけにも行かなくなった面々は頷くしかない。常識人度の高いルイスやエイミーはまだ目を回しているが、比較的許容度の高いロドリグとベルモンド兄妹は少し落ち着きを取り戻していた。そして、この中で最も許容度が高い所じゃないマリアンヌとパトリックは顔を輝かせている。
「えーっ、何これ異世界体験ってやつ? 『ウィルの冒険』みたいじゃない? ほら、木の虚に入ったらその先は不思議に満ちた別世界っていうお話の」
「何て面白い状況なんだ。このような事態が現実に起こるとは思ってもみなかった。君、フェランド君と言ったかな。もう少し詳しく教えてもらってもいいかい?」
はしゃぐ様子を見せるふたりを見て、ロドリグたちは呆れと安堵を混ぜ合わせた表情をした。このような状態でも変わらない彼女たちはある意味頼もしい。
一方で、ラルムは心臓の強いマリアンヌたちを見て仲間の少女と今隣にいる男との類似性に気が付き苦笑する。もしかして似た性格だからひっぱり込んでしまったのではないかとラルムがおふざけを交えながら考えていると、パトリックの申し出に目を輝かせたフェランドがずいと一歩踏み出してきた。今にも論述が始まりそうな空気を感じ取ったラルムはその口を慌てて塞ぐ。
「宮に、宮に行ってからにしましょうフェランドさん。この方はともかく他の方々まで巻き込むのは忍びありませんから」
それに世界を探さなくてはいけないのだから、とさらに説得し、フェランドが納得して頷くとラルムは彼を離した。そして、ある方向を腕で示す。
「あちらに見えるのが風吹く宮です。これからあちらへお連れします。その先でまずは皆さんから世界の特徴を拾い上げて、宮のスタッフの方々に皆さんの世界を探してもらいます。その間は自由行動可ですので、宮を出歩くのも待機するのもご自由にどうぞ」
こちらへどうぞ、とラルムが歩き出したので、ロドリグたちもそれを追いかけて歩き出した。上手く動けないルイスはレオンに首根っこを掴まれ、エイミーは両側からマリアンヌとリーナに手を引かれている。
向かう先にあるのは、晴天の光を弾く白亜の建物だった。
宮に着いた一同はまず謝という名の管理代行人の元に連れて行かれ、その先で世界の特徴を取得する機械というものに通された。と言っても、ゲート状の機械を、真下にいる時数秒立ち止まり、そのまま抜けるだけのことだ。
その後自由にしていていいという言葉を受け、ルイス・ロドリグ・レオン組とマリアンヌ・リーナ・エイミー組に分かれ、それぞれ宮内案内人を連れて出かけていった。
見学に回らず残ったのはパトリックで、彼は先の言葉通りフェランドと話をするべく談話室に向かった。フェランドの暴走を危惧してついて来たラルムだが会話開始早々について来たことを後悔することになる。
「なるほど、君の世界では魔法というのは不思議な術ではなく法則を基にした学問なのだな。それは学べば誰でも使えるのかね?」
「いや、それは難しいな
「そうか、そういうものなのだね。ではそちらでは魔法使いは希少なのではないかい?」
「それはそうでもないな。世界となると話は違うが、少なくとも我が国には魔法使いは少なくない。もっとも、レベルで分ければ話は別だがな」
「その辺りは私の世界と同じだな。軍人や文官は腐るほどいるが、全員が全員優れた者ではないからね」
「ふむ、確かに同じだな。どの世界も人間はやはり変わらんか」
「変わらないさ。ナンセンスな争いにかまけて生きても、悠々自適に人生を謳歌しても、最後にはただ墓を得るだけの生き物なのだから」
「おや、哲学的だな無垣の君」
「そうかい?」
はははははは、とふたり揃って爽やかに笑うその隣では、ラルムが微苦笑を浮かべている。最初は小難しい魔法の理論をフェランドが延々と語り、同じ世界のラルムが理解出来ない内容をパトリックは少しずつではあるが確実に咀嚼していた。そして今はこうして大きな視点から見た会話に興じている。
本当にフェランドとの相性がよい御仁のようだ。静かにお茶を啜っていると、隣の会話はすぐに別方向に変わっていった。
「そういえばこの宮は不思議な場所だね。先ほどから色々な人が通りかかるし、先程案内を申し出てくれた案内人の子達ともまた違うように見える。ここはどういう所なんだい?」
パトリックは言葉通り興味深そうに視線を巡らせる。談話室にはパトリックたちの他にも数組がちらほらと腰を下ろしているが、そのどれもが同じ世界の住人とは思えない。見たことのない衣装を身に付けているものがいれば、まるで子供用の小説に登場するキャラクターのようなファンタジックな衣装を身に付けている者もいる。たまにそれらが楽しげに会話をしながら通り過ぎるのはまた不思議な光景だ。
フェランドは視線を同じように巡らせる。
「ああ、不思議なところだな。私もはじめて来た時はあれこれ考えたものだよ。なんでもここは、風が吹く場所とならどことでもつながれる世界なんだそうだ。それと、ここには私たちのように第二の住処と認識している『住民』と君たちのような『客人』がいるそうだ。力不足で申し訳ないが、今の私に分かることはここまでだ無垣の君」
すまんな、とフェランドが肩を竦めると、パトリックは微笑んで首を振った。
「いや、十分だよフェランド君。ありがとう。ところで、先ほどから私ばかり質問してしまっているが、何か訊きたいことはあるかい? 私で答えられることなら答えるよ」
視線をフェランドに戻したパトリックは軽く片手を上げる。知識を語るのも好きだが聞くのも好きなフェランドはその申し出に目を輝かせた。
「おやよいのかね? では早速だが、君の国のことを聞かせてもらっていいか? どのような制度で治められている? 外交はどのように? 軍などはあるのだろうか? 文化はどのようなものが存在する?」
矢継ぎ早に問いかけるフェランドがやや暴走気味なのを感じ取り、ラルムはそっと彼を留めようとする。しかし、対面のパトリックはラルムを片手で制し、笑顔にフェランドの問いに応じた。
「まず国だが、イマニスという王国だ。軍が国政も行っている軍事国家でね、それなりに広いが山や海に囲まれているから戦争はそうないが、他国交流はそれほどないかな。それと――」
川の水が滞りなく流れるような滑らかさでパトリックは説明を続ける。その内容は膨大であったが、ほとんどがラルムでも分かりやすくまとめられていた。フェランドとよく似た性質のようだが、根本的に「人に伝えよう」という意思が彼よりも高いのかもしれない。
そう結論付けたラルムだが、その実は少々違う。フェランドと比較しているので分かりやすいだけであって、彼もまた彼の世界では「理解しがたい」の分類に入るのだ。この場にロドリグたちがいたら盛大に否定していたことだろう。
それからいくつかの質問を挟んでやり取りが進むと、ようやく話は止まった。途中結局分からなくなりついていけなくなったラルムはすっかり花瓶の花だ。
「なるほど。やはり別世界とはいえ他国の話を聞くのはよいな。色々なことが考えられる。感謝するよ、無垣の君――いや、
呼び方が変わったことに気付き、ラルムははたと視線をフェランドに向ける。ラルムにはどういう意味か分からないが、パトリックは呼びかけに一度軽く目を見開き、その後含みのある笑みを浮かべた。
「ありがたいが過剰な名称だなフェランド君」
パトリックは腹の前で手を組み、前屈みだった体を起こす。顔に浮かんでいるのは面白がっている笑みだ。フェランドは逆に机に両肘をつけて組んだ手の上に顎を乗せた。
「そうかね? 君は十分な才子だ犀利の君。私たちに話をしている時、君は上手く国の不利益になりそうなことを隠して説明していた。それも違和感なくごく自然にだ。頭がなければ出来んよ」
フェランドがにっと唇を引き伸ばすと、パトリックとの間には静かな空気が流れる。しかしそこに威圧感や息苦しさはなく、ラルムが感じたのはむしろ遊びを楽しんでいる時のような気楽さだ。そしてその印象を裏付けるように、パトリックはそれまで以上に楽しそうに笑った。そしてゆっくりと手を動かすと、笑みを作ったままの唇の前に一本だけ立てた指を持っていく。その単純な動作に隠された様々な言葉を感じ取り、ラルムは一層沈黙し、フェランドは同じく楽しげな笑みを浮かべた。
斬り合うわけではない、言葉遊びの延長のような不思議な沈黙が落ちると、突然廊下からバタバタと騒がしい足音が二重で聞こえてくる。
「パトリックさーん」
「フェランドさんあーんどラッルムちゃーん」
元気よく談話室に現れたのは赤髪ハイテンションガールズ・マリアンヌとエイラのふたりだった。ああやっぱり仲良くなってるとラルムが内心で頷いていると、入ってきた少女たちはまるで鏡像のように同じタイミングで左右の手をそれぞれ上げる。
「これからちょっとした歓迎会やってくれるんだってー! お料理とかもいっぱい出るらしいから難しい話終わりにして行こうよー」
「ついでにミニゲームもやるってさー! ほらほら、早くー」
元気いっぱいの少女たちに急かされて3人は席を離れた。パトリックは背中を鼻歌交じりに押してくるマリアンヌを首だけで振り返る。
「しかしマリアンヌ君? 君たちは先程昼食を食べたばかりじゃなかったかな?」
問いかけると、マリアンヌは「はい?」と不思議そうに首を傾げた。
「何言ってんのパトリックさん。ほら外見てよ。もう暗くなってるって」
指で示されたのは部屋を出てすぐにある廊下の窓。四角く区切られたその先に見える世界は、確かにすっかり夜の帳を下ろしている。ふと気付けば談話室も廊下も全て電気が点いていた。一体いつの間にこんな時間になったのだろうとパトリックとフェランドは同じように首を傾げる。唯一時間の流れに気付いていたラルムは視線をそらして苦笑した。
「うーん、自覚するとおなかがすいてきたな。白熱してしまったねフェランド君」
「うむ。有意義な時間だったぞ犀利の君。これだけ語り合ったのは久しぶりだからな。感謝する」
フェランドが鼻歌でも歌いだしそうな笑みで礼を述べると、パトリックもまた笑って「こちらこそ」と返す。
5人はそのまま食堂へと向かい、すでに待っていた住民たちやルイスたちと合流した。すっかり慣れたのか誰もが住民たちに囲まれており、時折(レオンが)気の強い面々と衝突する場面も見受けられたが、誰もがすっかりこの時間を楽しんだようだ。その輪の中にロドリグがいないことに気付いたパトリックが所在を尋ねると、この宮の料理長という女性の元にいるとの答えが返ってくる。パトリックはその返答で全てを理解した。
*** *** ***
その夜は結局歓迎会が発展し大宴会となり、風吹く宮ではどんちゃん騒ぎが繰り広げられることになる。その中で懲りずにパトリックとフェランドは論を興じ、さらに知識人たちも入ってきたため、食堂の中は奇妙な空間となったのであった。
*** *** ***
そして次の日の朝、別れの時は訪れる。
風吹く宮にある移動の間にはパトリックたちが揃い、昨日仲良くなった住民たちは彼らの見送りのために集まっていた。
「――ということになります。つまり、この宮と皆様の世界では時間軸が少々異なっているので、帰る時間は恐らく移動してから数十秒から数分後となります。恐らく問題にはならないと思いますが、その時は申し訳ございませんが皆様に誤魔化しを頑張っていただくことになります」
移動の説明をしていた謝にとんでもないことをさらりと言いのけられルイスやロドリグ、エイミーは微苦笑を浮かべる。だがその程度の時差ならまだいいだろうと腹を括った。
「では、機械の方へ」
進むことを促され、(無理やり押された)レオンを先頭に一同はそちらへと向かう。最後になったパトリックは優雅に一礼するとくるりと反転してその背中に続いた。彼の手の平には読めない文字が刻まれた指輪が握られている。これは最後の別れを告げた時にフェランドに渡されたものだ。何でも、この場とパトリックたちの世界をつなぐ流れが知りたいのだという。
渡りきったら壊れると聞いたが、どうなるだろうか。そんなことを思っているうちに機械が作動した。来た時よりも安定した、しかしやはり落ち着かない奇妙な感覚の後、彼らは移動前までいたエリオット家別邸の一室に立っていることに気がつく。
「も、戻りました……?」
「戻った……みたい、ですね」
きょろきょろと辺りを見回したり自分の頬を叩いたり引っ張ったりして正気を確かめていると、ドアがノックされた。ロドリグが慌てて返事をすると、メイドが3人入ってきた。
「あら? いらっしゃるじゃない。あ、いえ。お茶をお持ちしましたわ。皆様もおかわりはいかがですか?」
先頭に立っていたメイドが不思議そうに言い、そしてすぐに取り繕うように笑みを浮かべる。どうやら一度騒ぎになりかけた後らしい、と、ロドリグたちはほっとした顔を見合わせた。そしてメイドの勧めを受けてそれぞれが席に着き直す。
その中席を用意されるのを待っていたパトリックはそっと手の平を開いた。そこにあったはずの指輪はすっかり砕けており、金色の砂と化してしまっている。
パトリックはそれを軽く逆の手の指でなぞってから窓に近付き、バルコニーに出ると外に向かって手を伸ばした。すると、吹いた風によって金色の砂は風に溶けて消え去ってしまう。それを見送り、パトリックはふっと笑みを浮かべた。
「またいずれ会おう、フェランド君」
小さく呟いた言葉は、風に乗り金の砂と共にどこへともなく流されていく。