その日の夕方、ルイスたちは風吹く宮の食堂に招かれた。何でも歓迎会を開いてくれるということなのだが、誘われる時使われた「ちょっとした」という単語の意味を考えてしまうほど大規模な会場に、ルイス・エイミーは開いた口が塞がらない。ステージはあるわ、立食形式のテーブルと座って食べられるテーブルが区画分けして並べられているわ、行き交う人の数は数えることを断念するほどだわ。これを果たして「ちょっとした」と呼んでいいのだろうか。一般家庭で育った面々が頭を抱える一方、上流階級組は少々の驚きで済んでいた。
「わー、凄いねぇ。食堂も広いって聞いてたけどこんなに広かったんだ。凄い敷地面積だね」
人が次々に集まってくる会場内をきょろきょろと見回していると、近くにいたアランがにこりと肯定する。
「はい。ちなみに、今はパーティ用ということで食堂を拡張しています。謝さんの権限で、宮の増改築も減改築も思うままなんです」
「えぇ!? 改築自由って……」
横で聞いていたエイミーはぐるりと周囲を見回して言葉をなくした。どう見ても普通の建物だというのに、何の工事もなく改築が可能とは。慣れてきたと思ったのに。エイミーは何度目とも知れない予想外を体験する。
「いやはや、とんでもないですねぇ」
「俺はもう慣れたぞ。ここに元の常識は持ち込むもんじゃねぇ」
感心と衝撃を込めて溜め息をつくロドリグ。レオンは正反対に落ち着き払っていた。
「あ・のぉー?」
そんな一同に向かって、不意に不満そうな声を出したのは両腰に手を当てたハーティだ。
「それに驚くのはいいんですけどぉ、そっちのお兄さんたちはお洒落してるお連れさんたちに何か言うことないんですかねー?」
開口一番に(マリアンヌたちが)褒められることを期待していたハーティだったのだが、男性陣のあまりの無反応に業を煮やしたらしい。おい、とアランが小声で注意するが、ハーティは聞こえない振りをする。腹立たしさと呆れを込めた視線に晒された男性陣はそれぞれ顔を見合わせた。
「ああ――そういや変わってる……な?」
「何で疑問系なんですか! どう見ても変わってるでしょ!?」
確信が持てないらしいレオンの中途半端な同意にハーティが「信じられない」とばかりに叫ぶ。その間に入るようにロドリグが申し訳なさそうに微笑んだ。
「すみません、気付いてはいたのですが、中々言い出すタイミングが……。皆さんお似合いですよ。――ところで、マリアンヌのその格好は?」
いえ、似合ってはいるのですが。さらにフォローを入れながら言及され、マリアンヌはにんまりと笑ってくるりと一回転した。応じてふわりと翻るのは、首の後ろでひとつにまとめた三つ編みと長い上着の裾。裾はスカートのようになっているが正面が空いているため、スカート以上にふわりと広がる。両耳では緑色の宝石がついたイヤリングが揺れた。
マリアンヌが着ているのは、ロドリグたちの世界から考えれば完全に「ファンタジー」と呼ばれる分類の衣装だ。ハイネックでノースリーブの真紅に近い上着は、鎖骨の少し下辺りからぱっくりと左右に割れ、胸を強調するように囲んでみぞおちの辺りで再び合流している。拳ひとつ分は留まっているが、そこからまた割れて今度はへそを囲むように広がっていた。腰の辺りで細いベルトで留められ、そこからは前が開いた状態で左右に開き、膝裏の下まで裾が伸びている。インナーにはワインレッドの胸元が開いているワンピースが着用されており、スカート部分の正面は白い枠取りの内部が薄赤色をしている。肩より下から手首まで覆う袖は同じ薄赤色。ふとももまで至るロングブーツは白で、ブーツには赤い花とそこから垂れる布がつけられている。
「かっわいいでしょ? キャロラインさんっていう、服飾室の室長さんに選んでもらったの。あとね、お土産に色々布とかボタンとかも買っちゃった! 持って帰っても大丈夫だって言われたからいっぱい買っちゃったわ~」
元の世界に戻ってから色々作るのが楽しみ、とはしゃぐマリアンヌに、ロドリグは「それはよかった」と微笑んだ。その隣ではリーナがレオンからの「まあいいんじゃないか」という感想に舞い上がって花吹雪を散らしている。
「…………」
「…………」
そんな中、無言を貫くのはルイスとエイミーだ。お互いに目を合わせないようにする姿は、恥じらいからという甘酸っぱさを感じさせない。ルイスは断固として口を開かない様子を見せ、エイミーはそんな彼に負担をかけないようにするかのように視線を逸らし続けていた。
「ルイスさーん? コメントはー? もちろんありますよねぇー?」
そんなふたりの間に割り込んだハーティがじと目でルイスを見上げた。ルイスはそんな彼女からも視線を逸らす。
「軍部の規定で、風紀を著しく乱す場合を除いて女子の服飾について言及することは控えるよう決められています」
きっぱりと言い切る断固とした姿勢は、言葉の内容はともかく軍人らしい厳しさを見せていた。しかし対するハーティは隠さずに不満げだ。
「はーあぁぁ? 今オフですよね? しかも別にセクハラ発言しろってんじゃなくて素直に褒めるだけの話ですよね? 規定とか何とか持ち出します?」
「セクハラの基準は男側ではなく女性側が決めるものです。それに、エイミーさんがそのように受け取らなくても、どこで話が捩れて伝わるか分かりません。そこまで官位に執着はありませんが、セクハラで処分は御免です」
この風吹く宮に来てから全員揃って案内している時までの間しか見ていないが、ハーティが認識していたルイス・ヴォネガという人物はもう少し辺りの柔らかい人柄であった。その認識を改めることを強制されているかのような頑なさに、ハーティは一層強く言葉を紡ぎかける。が、それは背後から腕をとったエイミーに止められてしまった。
「ハーティさん、いいから。そういうのは無理強いするものじゃないから。ね?」
表面上こそ穏やかだが、目の奥には「本当に勘弁して」という思いが涙とともに浮かんでいる。恋する乙女というのはどうしてこう凄みを身に着けてしまうのか。さすがに泣かせるつもりはないハーティは素直にそれに応じる。
そうして女性陣たちは不満とともにパーティ会場の奥に歩を進めた。男性陣の姿が見えなくなる頃に、ハーティの不平不満は爆発する。
「なんっっなんですかルイスさん!? あんな頭硬いのに何人も彼女いたとか嘘でしょ!?」
「ハーティちゃん言い方言い方。それじゃあヴォネガさんが何股もしてたみたいに聞こえちゃうわー」
憤るハーティにマリアンヌが緩く訂正を入れた。エイミーの思い人がルイスであると判明した後に、彼の恋愛遍歴をハーティに語ってしまった責任をちらりと感じた結果である。
「それにヴォネガさんはねー、多分何も言ってくれないと思ってたわ。前に今の面子と他何人かで海行ったことあるんだけど、その時もなーーんにも言ってくれなかったから」
もう諦めてるわ。呆れたように首を振るマリアンヌだが、やはり大事な友人に一言もなかったのは不満だったのか眉は少々歪んでいる。
「でも残念ですよね、せっかくお洒落したのに」
「あたしたちも選ぶの手伝ったのにー」
不意に横から少女の声がふたつ会話に参加してきた。少し前に聞いた声だ、と一同の視線がそちらに向く。目が合ったのは残念そうな陽菜乃と不満そうな卯月だ。エイミーは少し申し訳なさそうに両手を合わせた。
「ふたりにも選ぶの手伝ってもらったのにごめんね? でも、女の子に話を振られてもきっと答えてくれないし、無理強いも嫌だから……」
殊勝なエイミーに、マリアンヌは「もうみったんは」と肩を竦め、リーナは兄に褒められ浮かれていた自分を恥じて肩を落とし、ハーティは腕を組んで眉を寄せる。陽菜乃たちもまた同様の表情を――するかと思われた。だが、彼女たちが浮かべたのはいたずらっ子のような笑み。意外な表情にマリアンヌたちは思わずそれぞれの感情を忘れる。集まる視線の中、卯月が面々の前に取り出し突きつけて来たのは卯月の手には少々余るサイズの板状のディスプレイ。
「スマホ? それがどうしたんですか?」
唯一その存在を理解しているハーティが代表して疑問を口にした。答えが返るまでの合間にマリアンヌが「スマホ?」と尋ねて来たので、「電話とかメールとかしたり、他にも色々便利な機能が入っている機械です」と簡潔に答えておく。
「女の子相手に素直に褒められないなら」
「男の子に協力してもらうだけですよ」
すっ、と卯月が暗くなっている画面を撫でると、そこにはとある人物が映し出されていた。それを良く見るように、マリアンヌが、リーナが、何よりもエイミーが、ずいと踏み出し画面の前に並んだ。
女性たちが人混みに消えた後、ルイスは大きく溜め息を吐く。褒めたくないわけではないのだが、保身のためにも許してほしい。自身が言葉にしたとおり、セクハラで更迭だけはさすがに避けたい事案なのだ。
「帰るまでに機嫌直ってくれているといいけど……」
ぽつりと呟くと、聞こえていたロドリグは苦笑を浮かべた。
「きっと大丈夫ですよ。今はお洒落していて気分が高揚してしまっているから、少々強めの言葉だったかもしれませんが、落ち着けば分かってくれます。それより何か食べましょう。おなかが膨れれば嫌な考えもなくなりますよ。ほら、これなんて美味しそうですよ」
近くのテーブルに出されていた、複数の小皿にそれぞれ盛られている茶色い半透明のゼリー状の物に包まれている肉料理を2つ取ると、その内のひとつをルイスに渡す。受け取ったものの口に運ばないルイスを促すべく、ロドリグはまず自ら食べ始めた。
「うん、美味しいで――!」
笑顔で褒め称えたかと思いきや、突然ロドリグは雷に打たれたかのように動きを止める。衝撃を受けて真顔でぷるぷる震えているその異様な光景は、消沈していたルイスですら気に留めずにはいられないほどだった。
「エ、エリオットさん……?」
恐る恐る声をかけるが、ロドリグはルイスの声が聞こえていないかのように手元に残ったもう一口分を口に含み、今度はゆっくりと租借する。
「――なんて完成度ですか、これは――!」
震える声で呟くと、双眸が感動で輝きだした。
「口に入れる前から芳しいとは思っていましたが、噛んだ瞬間に広がる芳醇な香りは別格です。舌触りもよく、歯を軽く押し返すような弾力も素晴らしい。もちろん味は言わずもがな……! 失礼! こちらをお作りになられたシェフは今どちらに!?」
突如しゃがみ込み、ロドリグは近くを通りがかったアシスタンツの内のひとりの両肩をがしりと掴む。お客様のご不興でも買ったか、と慌てるアシスタンツだが、その表情が高揚を映していると気付くと、「ピピャピピピャー」と腕を上げた。ぴぴゃ、としか聞こえないのに、「厨房にいるので連れて参ります」と聞こえてくるのは、ルイスたちが住人たちと問題なく会話できるのと同じ理由なのだろう。
「いえいえ、お忙しいでしょうからお連れいただくことはありません。ただ、是非ともご教示賜りたいので私を連れていっていただけますか?」
お客様にご足労頂くわけには。お作りになっているところが見たいのです。そんなやり取りが5回ほど続いてから、ついにアシスタンツが折れた。お連れします、と肩を掴まれていたアシスタンツが笑うと、ロドリグも心底から嬉しそうに礼を述べる。
「それではヴォネガさん、私ちょっと席を外しますので」
あなたも楽しんでください。そんな台詞を残してロドリグとアシスタンツのひとりは姿を消した。それを呆気にとられながら見送ってから、ルイスは手元の肉に視線を落とす。
「……そんなに美味しいのか……」
ロドリグの味覚に全幅の信頼を置いているルイスは躊躇なくそれを口に運んだ。そして、ロドリグがあれほどまでに興奮していた理由を理解する。確かにとても美味しい。この味を彼が覚えてきてくれることを祈りつつ、ルイスは後ろを振り向いた。
「ベルモンドさん、これ食べました? 美味しいですよ」
見た目に反して大食漢のレオンならすぐに食いつくだろう。そう思っていたが、それ以前だった。
「……何も言わずにいなくなるとか」
そこに目的の人物の姿はない。遠くでちらりと長い白金が揺れたのが見えたので、ひとり食い歩きの旅にでも出かけたのだろう。あの後手合わせに参加していた面々と仲良くなっていたので、その辺りと合流でもしているのかもしれない。
「まあいいですけどね」
と言ってみたものの、ひとりだけというのも味気ない。だが、女性陣に合流するのも気が引ける上、見物中に特別仲良くなった相手もいないとなると、ルイスの次の選択肢は皆無に等しかった。仕方ない、ひとりで楽しむか、と祭りに近い賑やかさにそわりと心を浮き立たせた時である。脇から声をかけられた。
「ルイスさんひとりっすか?」
「よければ僕たちとお話しませんか?」
ぼんやりと聞き覚えがあるそれは、宮の見学中に出会った少年たちのものだ。声の主たちを思い浮かべながらルイスはそちらに体を向ける。近付いて来ていたのは予想通りの少年2人――に加え、彼らと会った時同時に会った少年2人だった。
声をかけてきたのはにこやかな笑顔の眼鏡の少年・
彼らは全員15・16歳の学生とのことで、ルイスとはそこそこ離れていた。そんな気安さからか、ルイスは自然と柔らかい笑顔を浮かべる。
「ありがとう、ちょうど連れが別の所に行っちゃったんだ」
最近近くにいるのが仕事仲間なことが多いため普段は敬語ばかりのルイスだが、仕事も関係ない年下とあれば自然と口調は親しげなそれに変わっていた。
「あの後宮の見学どうでした?」
あの後、とは、恐らく彼らと会った後のことだろう。立てた指先をくるりと回した咲也の問いかけに、ルイスは少し遠い目をする。
「ベルモンドさん――ああ、あの白っぽい金髪してる男の人の方なんだけど、そっちがもうずっっっっっと手合せの輪から動かないから、最後の辺りはそこで集まった人たちと話している感じだったよ」
最初の頃は多少遠慮していたのに、最後の辺りは住民たちと混じって「次俺!」と声を張り上げていた。勝っては負けてを繰り返した結果、最終の戦績は12戦6勝5敗1引き分けとなり、集まっている面々からは賞賛を集めていた。自慢気なあの顔は、彼を敬愛してやまない妹君が見たらさぞ喜んだことだろう。
「ああ、なんかすっげー楽しんでたって聞きました。レオンさんのことだったんすね」
「予想通りっちゃ予想通りだけどなー」
「あはは、だね」
この短時間でどこまで認識されてしまってるのだろうあの人は。笑い合う咲也・聖・和俊の許容度を賞賛すべきか、レオンの裏表のなさを賞賛すべきか、ルイスは少々呆れながら口元を緩める。
「そういえば、さっき何かハーティさんと揉めてなかったっすか?」
思い出したように咲也が疑問を口にすると、そういえば、と疑問を帯びた少年たちの視線が一斉にルイスに集まった。先ほどから興味なさげな悠一までちらりと視線をよこすほどだから相当気を引いたのだろう。ルイスは困ったように頬を掻く。
「いやね、一緒に来た女性陣が着替えさせてもらったみたいなんだけど、ちょっとそれにコメントするの断ったら怒られちゃって……」
しろどもどろな説明に、少年たちからは「あー」と声が漏れた。言外に含まれる「それは怒られる」という思いが伝わってきてますます居たたまれないルイスは引きつり笑いを浮かべながら視線を脇に逸らす。
「女子はそういうの言ってやんないとキレるからなぁ。世界違っても同じなのな」
「な。え、てか何でルイスさん断っちゃったんすか? 可愛くなかった?」
純粋な目でとんでもないことを尋ねてくる聖にルイスは慌てて手を振った。
「いやいやっ、そんなことはないよ!? みんな似合ってたと思う。でも、僕ほら一応軍人で、女子部には着ている物について言及しないっていう決まりもあるからね。そういうの言っちゃうのはちょっと抵抗あるんだよ」
軍人、規則。単語だけでも厳しさが伝わってくる。平和な世界のただの学生としては、「そんなもの破ってしまえ」とは言い難い。顔を見合わせる少年たちに、分かってくれたか、とほっとしたのも束の間。再びルイスに向けられた三対の視線は面白がっているものだった。この視線には覚えがある。学生時代の友人たちと同じものだ。
「じゃあじゃあ、彼女たちに直接じゃなければいいですよね?」
「ぶっちゃけどうだったんすか? 可愛かった?」
「大人の男の人の意見って聞くことないからなー。聞かせてくださいよー」
ああもうこれ完全に学生のノリだ。ルイスを囲むように一歩前に出た少年たちは目を輝かせいたずらっ子のような笑みを浮かべている。そんな中正面に来た聖の手にある板が少々異質だったが、そちらに気を向けている余裕は今のルイスにはなかった。
たじたじとしていると、ひとり後ろに残ったままの悠一が呆れた調子で船を出す。
「諦めた方がいいぞ。そいつらしつけぇから」
――ルイスが期待していた方向とは真逆の助け舟を。
やっぱりそうか、と諦めた笑いを浮かべると、ルイスは口元に指先を当てた。
「言うけど、内緒だよ?」
いい? と重ねれば、前のめりの少年たちは「うぃーす」「はーい」「いえっさー」と若さゆえの気軽な返事をしてくる。その気安さに引きずられるように、ルイスは普段より幼さを混ぜた笑みを浮かべた。
「みんな可愛かったよ。マリアンヌは演劇の衣装みたいだったのに堂々と着こなしてたし、エイミーさんはイメージ通りの柔らかさがよく出てたし、リーナさんは珍しい組み合わせだったけどよく似合っていたしね」
仕事仲間を褒めたの久しぶりだよ、と照れた様子を見せるルイスに礼を述べると、聖は手元の板を下ろし、咲也と和俊はきょろきょろとあたりを見回す。
「そんなに可愛かったんだったら俺らも見たいなー」
「そうだね、ちょっと探してこようか」
「あ、俺も俺も」
じゃあルイスさんまたね、と手を振りつつ、3人はささっとその場から姿を消してしまった。本当に内緒だよ、と少し大きめの声で言えば、姿の見えない少年たちは「分かってる」と返してくる。
「……大丈夫かな」
ぽそりと呟いてから、ルイスはふと悠一が残っていたことに気が付いた。
「えーと、悠一君? だったかな? どうしたの?」
身長が大変低いうえに顔立ちが少女じみているのでついつい扱いを間違えそうになるが、そうすると突然火がついたように怒り出すのは昼間の見学の際に目の当たりにしているので気を付ける。ちなみに怒らせたのは当然レオンであった。
「…………」
押し黙ったまま見上げてくる悠一の表情は怒っているようにも見えるが怒っていないようにも見える。ともすれば戸惑うか不愉快になりそうな状況だろう。だが、真面目な顔をしている時の元上官を彷彿とさせる雰囲気ゆえか、ルイスは平然とただ疑問だけを映してその目を見返していた。
しばらくの沈黙の後、悠一はふいと背中を向ける。
「あんたも災難だな」
そんな一言を残して。どういう意味、と問いかけても、先の少年たちと違いその背中は答えを返さず人ごみに消えてしまった。
しばしの間首を傾げていたルイスだが、考えていても仕方ないと気を取り直す。とりあえず、食事でもして回ろう。意気揚々と決意して、彼の姿もまた人ごみに紛れていった。
「――以上、中継でしたー!」
弾む声でスマホを卯月がスマホを下ろすと、真正面でその画面をのぞき込んでいたエイミーが顔を覆って膝から崩れ落ちる。
「みったーん!?」
「エイミーさん!?」
「エイミーさん服汚れる!」
「いやハーティさんそっちじゃないよね!?」
マリアンヌをはじめとした周囲の女性陣が慌てて彼女を囲んだ。その中央で座り込むエイミーはぷるぷると小刻みに震え、見る見るうちに耳まで赤くなっていく。耳をそばだてれば、褒めてもらえた、可愛いって、笑顔可愛かった、と呟く声が聞こえてきた。
「うんうん、みったん良かったねー」
しゃがみこんだマリアンヌは喜びに打ち震えるエイミーを抱きしめて頭を撫でる。嬉しそうな友人に自分まで嬉しくなっているのか、その顔には緩んだ笑顔が浮かんでいた。
「イチー、卯月っちゃーん、中継どうだったよ?」
「上手くいったー?」
「あ、成功した感じ?」
突然のエイミーの奇行を心配している人ごみから咲也たちが姿を見せる。どうだった、と訊きつつも、エイミーの状況を見て成功したことを自ずから判断した。
「うん、協力してくれてありがとうね3人とも」
卯月が親指を立てながら笑顔を見せると、少年3人も親指を立て返す。
それは遡ること数分前。客人の女性たちが着替えをした、という話をしたところ、「見てみたい」という話になり、卯月たちは彼らの元に向かった。そこで聞こえてきたのが、ルイスの褒める褒めないの話。ああも頑なな状態だと「褒める」という結論には至らないだろう。そう判断した少年少女は、現代の文明の利器・スマホを使い中継をすることを思いついた。成功するかどうかは分からなかったが、文明レベルの違いと「一度顔を合わせている」ことの気安さがあるなら望みはあるはず、という希望に賭けてみたのだ。
その結果が今。協力者の少年少女はうまくいったことに満足そうに笑い合う。
「あれ? 悠一君は?」
もうひとりの協力者である悠一の姿が見えないことに気付き、陽菜乃がきょろきょろとあたりを見回した。その言葉に、他の面々の周囲を見渡す。
「ルイスさんの所にいた時はいたんだけど……もしかしてルイスさんに同情してネタバレしちゃってたり?」
ありえそう、と疑った表情で和俊が呟く言下。
「してねぇよ。お前らが散々言うなってうるせーから」
不本意そうに心外そうに、少年たちの背後から現れた悠一は眉を寄せていた。最初に会った際の激怒もあって、「ちょっと怖い」と不慣れなリーナは軽く体を強張らせるが、慣れている和俊はぺろりと舌を出す。
「いっがーい、悠一君お優しいから言っちゃうかと思ったなー?」
謝るどころか笑いながら煽る和俊をじろりと睨んでから、悠一は用事は済んだと言わんばかりに身を翻した。
「お? 悠どこ行くの?」
「飯。お前らはそいつらと話してろよ」
聖の問いかけに振り返らずに答えて、悠一はすたすたと人ごみに消えていく。
「あ、悠一君」
駆け出しかけた陽菜乃が気付いたように面々を見渡した。
「いいよイチ、行って来い行って来い」
「陽菜あたしみんなと一緒にいるから、東原君落ち着いたら一緒に戻ってきて」
軽く手を振られ、陽菜乃は頷き、客人たちにぺこりと頭を下げてから悠一が消えた方へと小走りに駆けだす。その背中が見えなくなってから、エイミーを抱きしめたままのマリアンヌが近くのハーティを見上げた。
「あの子が陽菜乃ちゃんの好きな人?」
「あ、はい。ちなみに悠一さんも陽菜乃さんのこと好きみたいなので両片思いだそうです」
住人の秘密を隠すどころかぺらぺらと話すハーティに住民たちは「躊躇ねー」「ハーティさん怖っ」などと笑い出す。応じてマリアンヌやリーナも笑うが、少し正気に戻ってきたエイミーは「笑いごとなのそれ」と冷や汗をかくのだった。
それからしばらくして、咲也たちは食事に消え、エイミーの完全復活を機に客人たちも食事に向かう。
様々な料理がふるまわれ、多くの出し物が披露され、時々喧嘩をこなしながら、客人たちを歓迎したパーティは賑やかに過ぎていくのだった。
そんな賑やかな夜は瞬く間に過ぎ去る。
翌日の朝食後、風吹く宮の移動の間には客人たちとそれを見送る住人達が集まった。中央に置かれた機械の脇にはぼさぼさ頭の白衣の男性が胡坐を掻きながらかちゃかちゃとパソコンをいじっている。ハーティたちの1番目の兄であるラリー・ミルトンだとアランが教えてくれた。なんでも、ルイスたちが帰るための最終調整中なのだそうだ。
「
少々遅れて移動の間に表れた今回の騒動の発端ことフェランドがいそいそと犀利の君ことパトリックに近付く。何かね、とそちらに向かうパトリックの背後では、マリアンヌとエイラがハグをしていた。
「1日だけだったけど凄く楽しかったよ! いつかまた奇跡が起きたらその時はまたいっぱいお話ししようねエイラちゃん」
「私も楽しかったよマリアンヌさん! あのね、今回の移動でルート自体は出来るって言ってたから、うまく調整出来ればきっとまた会えるよ」
お互いに惜しみつつも「きっとまた会える」という確信が、彼女たちを笑顔にしている。
「……また、来られますかね?」
伺うようにエイミーがちらりと視線を向ければ、隣のケイティはにこりと笑った。
「ええ、きっと。この宮に一度来た人は、2回目以降も来やすいそうですから」
疑っていない是の回答に、エイミーもつられるように微笑む。最初にここに来た時は「どうしてこんなことに」と嘆いていたものだが、終わってみればいいこともたくさんあった。色々な人に出会え、恋を応援され、とても貴重な――。
昨晩のルイスの言葉と笑顔を思い出し、エイミーはぼふっと赤くなる。そんな彼女をケイティが慌てて宥めている横では、膝を曲げたリーナがラプルゥ、そしてユアを抱きしめていた。
「ユアちゃんもラプルゥちゃんも素敵な時間をありがとう。私、とても楽しかったです! 次もまた会えたら嬉しいです」
にこにこと満面の花を咲かせるリーナは周囲の会話が聞こえていたわけでもないのに「次」を確信している。そんな彼女に笑みをこぼし、ユアとラプルゥも彼女を抱きしめ返した。
「ユアも百面相なリーナちゃん見てるの楽しかったよー。また遊びに来てね」
「ラープゥ」
ラプルゥがぽふぽふとぬいぐるみのような手でリーナの頭を撫でると、リーナは幸せそうに「ふふふ」と声を漏らす。
「次回こそ勝たせて貰うぞレオン殿」
「次回も俺が勝つぜ俊応」
がっしりと握手を交わし、周孝とレオンは好戦的な視線を交し合った。さすが兄妹と言うべきか、レオンもまた次回があることを確信しているようである。それは、相対する周孝も同じなわけだが。
「あんたたちにも次は負けん!」
びしぃっと指を突きつけた相手は昨日彼が負けた、あるいは引き分けた面々。誰が言い出したのか、昨日彼が対戦した相手のうち、来ているのは彼らだけだった。
「心してお相手させていただきます」
「おう、もっと精進しろよ」
「……俺でいいなら付き合おう」
「次も負けないわよ~」
「2回目以降の場合は私への挑戦権は10勝以上からだそうなので頑張ってください」
「こちらこそ、次回も是非お手合わせいただければと思います」
仙星、クレイド、清風、ユーリキア、ヴィンセント、ラルム、の6人の言葉に、レオンは挑む炎を目の奥に燃やして腕を組む。
「またあんなことして……」
その様子を呆れて見守っていたルイスに、まあまあ、と声をかけたのは咲也、聖、和俊の3人だった。その後ろには悠一もいる。陽菜乃と卯月もいるが、彼女たちは女性陣とのお別れの順番待ちのようだ。
「楽しめたんなら良かったんじゃないすか?」
「まあ、不快にはさせなかったようだからそれは良かったけどね。あ、ところでさ、君たち本当に僕が昨日の夜言ったことエイミーさんたちに言ってない? 何だか夕べとか今朝とか会った時妙にそわそわしてた気がしたんだけど」
軽く笑みを引きつらせつつ少年たちに視線を向けるが、対応する少年たちは「そんなまさか」と揃って首を振った。
「神に誓って口に出してません」
中継はしたが。
「神に誓って筆談で伝えたりもしてません」
中継はしたが。
片手を立てて宣言するその堂々とした様子に、ルイスはまだ訝しむ様子を見せる。それを前に、和俊は少し視線を下げた。
「……信じてくれないんだ……」
「ごっ、ごめんごめん、信じる! 信じるよ!」
今にも泣きだしそうな傷ついた様子は痛ましく、ルイスは慌てて両手を振る。年相応かそれよりやや上に見える咲也・聖、あるいは少女めいた容姿でも攻撃的な雰囲気を醸す悠一と違い、和俊はそのまま幼い子供のようだ。申し訳なさからつい声を大きくして弁明すると、和俊はぱっと笑顔を咲かせた。ありがとう、という姿は無邪気そのもの――に、見えるのは彼の本性を知らないルイスだけ。友人たちは必死に笑顔に苦味が混じらないように耐えている。
「このたびは素晴らしい技術をお見せいただき誠にありがとうございました」
「いえいえ、ロドリグさんも十分素晴らしいですよぉ。もう軍を辞めさせてうちで働かせたいくらい」
ぴしりと美しいお辞儀を披露したロドリグの前でにこにこと笑っているのは、茶色い髪をお団子にしている中年の女性。彼女は風吹く宮の料理長であり、案内人姉弟の母でもあるベティーナ・ミルトンだ。人並み以上に料理に興味のあるロドリグが心を打たれた料理の作り手こそ彼女であり、昨晩ロドリグはパーティのほとんどを彼女の隣で過ごしていた。最後の辺りでは自身も作りたがった結果完全に厨房要員のひとりと化していたのだが、本人は至って満足だったことを同行者たちに語っている。
それぞれが最後の会話を楽しんでいると、機械の横にいたラリーがふらりと立ち上がり、待機していた謝と視線を合わせるとそのままそそくさと立ち去った。人見知りの科学者はこんな時でも人見知りのようだ。
「皆様、お待たせしました」
ラリーが退出したのを見届けてから、謝は一同に声をかける。早々に会話が収まり、全ての視線が代行人の青年に集まった。それらを恐れることなく、謝は機械を示す。
「機械の調整が終了しましたのでこれより皆様を元の世界にお送りいたします」
そこから機械の説明、そして元の世界との僅かながらとはいえある時間の差についてなどの説明を受け、一同はついに風吹く宮から元の世界へと戻っていった。
もしかして夢だったのか。一瞬浮かんだその疑問は、マリアンヌが「お土産」として持って帰ってきた布やボタンなどがすぐに否定してくれる。そうして次に皆の心に浮かんだ思いは、たった一つであった。
――またいつか、あの風吹く白亜の宮で。