「あー、やっぱりあんだけ説明されても未だに信じられんねーなぁ」
用事が終わった室内から出た青年は、回廊の端に寄り腰の高さほどの壁に手をつく。上に向けられた真紅の瞳には明るい青空が広がっていた。そよそよと吹く心地よい風は絶えることがなく、腰すら軽く超える白金色の長髪を揺らし続けている。
「僕もですよ……はぁ、頭痛くなってきた……」
金髪の青年に同意したのは扉のすぐ横でしゃがみ込んで深く項垂れている青みがかった黒髪の青年だ。隣では淡い茶色の長髪を女性が同じように力なくうなだれていた。そんな彼らにちらりと視線を向ける金髪の青年は「お前らほどひどくねぇよ」とひとりごちる。
「もーう、ヴォネガさんもみったんもしっかりしてよー。ここ来てからもう30分は経ってるよー?」
そんな彼らを励ましているのは明るい笑顔の赤髪の女性だ。顔の横で大きなリボンを使って留めている長い髪は、やはりそよそよと揺れている。淡い茶髪の女性は青い顔を持ち上げ、赤髪の女性のややくすんだ赤色の双眸をじと目で睨みつけた。
「マリアンヌの精神力と一緒にしないでよ……! こんな状況すぐについて行ける方がおかしいんだからね」
非難じみた言葉だが、向けられた女性――マリアンヌはけらけらと笑う。
「あたしほら、メンタル最強だから」
星でも飛ばしそうなウインクに薄茶色の髪の女性は青藤色の双眸に諦めを映した。ああうん、この子はこういう子だわ……と心で唱えて納得する。
「エイミーさん、大丈夫ですか?」
「ありがとうリーナちゃん、大丈夫だよ」
マリアンヌとは逆に気遣わしげな眼差しを向けてくるのは、白金の短髪と輝く紅玉の双眸の女性――リーナだ。淡い茶髪の女性ことエイミーは彼女の問いかけに務めて平静に笑い返した。他の同年以上の面々はともかく、年下の彼女にまで心配をかけるのは心苦しい。そんな常識と気遣いが勝った結果である。
「ヴォネガさん、あまり無理そうならどこかで休ませていただいてはどうですか?」
明るい栗毛の青年が青黒の髪の青年の背を軽くさすった。友人として医師として、そんな勧めをするが、当人はまだ青い顔で笑って見せる。
「いえ、もう少し、もうちょっと頑張れば慣れます……!」
随分無理やりな気もするが、本人がそれで、というなら栗毛の青年も一旦引くしかない。あまりにもひどいようなら無理にでも休ませよう、という内心の決意は忘れていないが。
「あ、やばいハーティ。もうお客さん出てきてる」
「はいはい……」
不意に新しい声が聞こえてくる。慌てているのは少年の声、どこか嫌々そうな声は少女の声だ。一同の視線がそちらに集まると、回廊の向こうから小走りでスーツ姿の二人の少年少女が駆けて来た。
「すみません、先程フェランドさんが間違えて召喚しちゃった方たちですよね?」
一同の前で立ち止まると、ベストまでしっかり着た少年が特に息切れした様子もなく問いかけてくる。それに答えたのは栗毛の青年だ。
「はい、私はロドリグ・エリオット。こちらから順に、レオン・ベルモンド、ルイス・ヴォネガ、マリアンヌ・ロダー、エイミー・ウィルソン、リーナ・ベルモンドです。もうひとりの者はパトリック・ジェラルディーン。彼は談話室でフェランドさんとラルム君と話しています」
栗毛の青年改めロドリグが順に差したのは、金髪の青年、青黒髪の青年、赤髪の女性、淡茶髪の女性、金髪の女性。各々は少年が口にした「召喚」という単語にそれぞれの表情を浮かべていた。それは、その単語があまりにも自分たちの常識と駆け離れた単語であるから。
おおよそ30分ほど前まで、一同はロドリグの家に集まり食事をしていた。そこに先程名前が出て、今はここにいない男性・パトリックが訪れてきた。異変が起きたのはその直後。普通に会話していたはずであったのに、突然パトリックの背後に黒い穴が現れたのだ。それに引きずられた結果、彼らは元々いた世界からこの地・風吹く宮に飛ばされてきた。
原因は先程少年が口にした人物である。自称未来の大魔法使いのフェランド・ダヴィア。彼は同じ宮にいるはずの相手を召喚する予定であったのに、何をどう間違えたのか異世界人であるルイスたちを連れてきてしまったのだ。
幸い、この世界は風が吹く場所であるならどこへでもつながれるという特性があり、異世界からの客人も多いため、送り返す技術は十分整っているのだという。とはいえ、ルイスたちの世界は異世界など娯楽小説の舞台程度にしか認識していない。認識していない世界を見つけ出し帰り道をつなぐのには時間がかかるのだそうだ。仕方ないので、それが見つかるまでは一同は待機することとなる。
その結果、遣されたのが彼らであるはずだ。直前まで相手をしていてくれた外交官の少女が「案内人をお付けしますので」と言っていたから、恐らく間違いない。そんな予測の答えは、すぐに姿勢を正した少年少女から告げられた。
「遅れて申し訳ありません。おれはアラン・ミルトン。こっちは双子の姉のハーティ・ミルトンです。風吹く宮の案内人をしています」
「双子?」という素っ頓狂な声が客人たちからほとんど同時に漏れる。だがそれも仕方ないことだろう。何せ、目の前にいる少年少女は確かに顔立ちは似ているが、飾る色彩がまるで違う。少女――ハーティの首元まである髪は金色で、少し演技臭い笑みを浮かべる双眸は青だ。対して少年・アランは少し癖がある髪は茶色をしており、目の色も同色をしている。
「二卵性なんでー、結構似てないんでーす。でも、兄姉の誰かとは同じ色してますんで血はちゃんとつながってますよー」
やや慇懃無礼な様子で、首もとの開いた女性用のシャツを身につけているハーティが補足した。ともすれば不興を買いそうな態度だが、気にならない、あるいは気にしない者たちの集団であるため、不快を表す者はひとりもいなかった。むしろ「そうなんだねー」と笑顔すら浮かべる。その反応に少し拍子抜けしたようにハーティの表情が緩く崩れた。直後に再び笑顔が作られるが、先ほどよりはやや柔らかい印象を受ける。
「それじゃあ、ご案内しますね。何かご希望あれば伺いますが――」
何かあります? と言外に込めて向けられたアランの視線を受け、ルイスたちはお互いの顔を見合わせた。
「何も分からないからー、とりあえずスタンダードでお願いしまーっす」
代表して答えたのはマリアンヌだ。言葉で相談をしたわけではないが、一同の意見と一致したので口を挟む者は誰もいない。アランが「分かりました」と笑顔を返す。
「それではこれよりご案内を始めさせていただきます」
「改めてお客様方」
アランとハーティはお互いに対象になるように立ち位置を多少変え、ハーティは左手を、アランは右手を広げた。示すのは、先程彼らがやって来た側の回廊。
「「ようこそ、風吹く宮へ」」
アランとハーティのふたりに案内され、一同は宮内のあちこちを歩き回る。道すがら会う者たちはこちらを見かけると「いらっしゃい」と朗らかに声をかけてくれた。彼らはこの宮の住人で、自分たちの元の世界と並行してこの世界でも過ごしているらしい。
「混乱しねーのかよ?」
レオンがそう尋ねたのは、案内先で偶然会いそのことを教えてくれた黒髪眼鏡の
「しないっすねー。元の世界ではこっちのこと覚えてないし、こっちでは何でか『別物』って認識してるし頭も整理もされてますから」
感覚的なものらしく、レオンは「そうか」と一応の納得を示す。一方で、隣で聞いていたルイスはまたも頭を抱え、ロドリグに宥められていた。
その後もあちこちを回り、一同は建物から庭へと出る。季節的には初夏といった気候で、幸いルイスたちの世界の気温とさして変わりはないようだった。季節の花々が咲き緑が輝く中庭を、吹き続ける風を感じながら歩いていると、不意に熱狂的な声が聞こえてくる。それに最初に反応したのはレオンだ。
「打ち合いの音か?」
「あ、そうですね。この宮には戦闘職の方も多くいるので、その方たちがよく手合わせをしてるんです。……行きますか?」
完全に興味がそちらに奪われているレオンにくすりと笑い、アランが持ちかけた。レオンが楽しそうに「おう」と答えると、アランが先に行き音の方向へと向かう。手合わせ、という荒々しい単語に、マリアンヌ以外の4人は不安げな顔をしていた。その彼らの様子を見て、マリアンヌが一番後ろを歩いているハーティを振り返る。
「この先にいるのって危険な人たちだったりするのー?」
「いいえ? 脳筋族ではありますけど、むやみやたらに襲ってくることはありませんし、素手じゃなければ使っている武器も練習用です」
大丈夫ですよ、と断言され、それならばとルイスたちの表情は少し明るくなった。それから、先に行くアランとレオンの背中が少し遠くなってきたので早足で彼らを追いかける。その身長差のある背中に追いついたのは彼らが足を止めた場所。くるりと輪を描いた人垣の一角は、客人たちに気付いて自然と空けられていた。
「今は
アランが紹介をしている先では二人の青年――ガーリッド、と紹介された方は少年との境目のように見える――が刀身幅の違う刃を潰した剣で打ち合っている。幅の広い剣を使用しているガーリッドの方が力がやや強いのか、鍔迫り合いになると周考の方が僅かばかり押されている印象があった。数秒の睨み合いの末、周考が切り下ろす要領でガーリッドの剣をそらせると、返す刀で胸元を斬りつける。エイミーとリーナが悲鳴を上げマリアンヌにしがみつき視線をそらした。縋られたマリアンヌもぎょっとした様子だったが、斬れないことを分かっていたので彼女たちより冷静だ。とはいえ、さすがに固い模擬刀で殴られたようなものなので、ガーリッドは表情を歪めている。表情は苦痛に歪むが、一言も漏らさないあたり我慢強いのだろう。
「一本! それまで」
審判をやっていた金髪に眼鏡の男性――アランがヴィンセントという名だと教えてくれた――が周考側に手を伸ばした。周考とガーリッドは一歩下がり、お互いに頭を下げ合う。それから笑顔で会話を始めた。内容は、どこが良かった、どこが悪かった、という今しがたの試合の感想のようだ。
「はー、凄い迫力でしたねぇ」
感心したようにロドリグが息を吐き出す。ここに呼び出された全員が軍属であるが、模擬戦とはいえこのような激しい戦闘は見たことがなかった。――ただひとりを除いて。
「なあ」
そのただひとり――陸軍中佐にして常時の帯剣を許された武官であるレオンが先ほどより熱のこもった声でアランに呼びかける。返事をしながらアランが10cmほど上にあるレオンの顔を見上げると、常時より少し強い風が吹き抜けた。レオンの長い前髪は普段彼の右目を隠しているが、風のせいでその瞬間ふわりと持ち上げられる。露になった双眸は、強く輝きながら人垣の中心を見つめていた。この顔は見覚えがある、うちの住人にもこういう表情する人たちがいるぞ、とアランが苦笑を浮かべる中、レオンは彼の予測通りの言葉を口にする。
「あれ俺も参加出来るか」
声を潜めない参加表明に人垣の視線が順次レオンに、そして共にいるルイスたちに注がれた。見かけない面々を前に住民たちは一瞬疑問を抱いたようだが、フェランドが間違えて召喚した、という内容はすでに噂として出回っているらしく、「ほら例の――」という密やかな声が聞こえてくる。それは知らなかった面々もいるようだが、ミルトン家の案内人姉弟を見て客人だと納得したようだ。
「おう、いいぞ。とりあえず俺とやるか?」
答えたのはアランではなくまだ中央にいる周考だった。片手で汗を拭いながら彼がもう片方の手で手招くと、どこからか丸い頭と小さな体の生き物・通称アシスタンツが様々な形状の修練用武器を持って現れる。歓迎の様子に口元を緩ませるレオンだが、一点の疑問を口にした。
「あんた今やったばかりじゃねぇか。俺片手間で倒せるほど弱くねぇけど大丈夫かよ?」
相手を気遣う一方で無意識に自信を覗かせる発言をするレオンに、先程まで怯えていた
「ちょっとベルモンドさん!」
「あなたが強いのは分かっていますが、人様の御宅ですからね? もう少し穏やかに……」
針の
客人男性陣が小声で揉めている中、突然周考が軽快かつ豪快に笑い出した。
「はっはっはっはっ、強気な御仁だな。ご心配ありがたく頂戴するが、俺もこう見えて兵を束ねる伯長だ。手強かったとはいえ一戦した程度ではまだまだ折れんぞ」
にっと歯を見せて笑う顔には不快は浮かんでおらず、ルイスとロドリグは揃ってほっとする。さりげなく先ほどの相手を褒める辺り気の良い人物なのかもしれない。
「そうか? じゃあ、遠慮なく」
シャツの袖をめくりながら嬉々として前に出ると、レオンは一列に並んでそれぞれが持っている武器を前に持ち上げているアシスタンツに近付いた。彼が手にしたのは普段帯刀しているそれとほぼほぼ同サイズをしたサーベルタイプの模擬刀。武器が決まるとアシスタンツはさーっと波が引くようにはけ、中央にはレオンと周考が相対する形で残される。
「呉軍伯長・周考、
刀を構えながら周考が名乗ると
「イマニス王国、ベルモンド家が嫡子レオン」
レオンがサーベルを構えながら返した。互いの名乗りが終わると、様子を見守っていた審判・ヴィンセントが手を上げる。
「それでは次、周考君対ベルモンド氏。――はじめっ」
風を切って腕が振り下ろされると、まずレオンが駆け出した。その踏み込みの速さに観衆からは「おお」と歓声が上がる。一気に詰めた間合いをさらに埋めるようにレオンは鋭く切っ先を突き出した。レオンの速度を前にその場で踏みとどまることを決めていた周考は、咄嗟に刀を横にして腹でそれを受ける。キィンと高い音が響くと、直後に周考はサーベルを巻き込むように刀を返した。同時に一歩踏み込みレオンに近付く。先程ガーリッドを仕留めた距離まで迫った顔を見上げながら、サーベルの切っ先を完全に逸らした刀を振り戻した。
繰り返しの結末が迎えられる、と思ったのはその一瞬。
「おっ――と」
周考が両手で振り切った刀が、左手に残っていた鞘によって止められる。「やらせるか」と不敵な笑みとはそぐわず、その全身には筋肉が膨れ上がるほど力が込められていた。体つきだけで言えば周考の方が作られているように見えるが、納められている筋肉量はそう変わらないらしい。
覚えず周考からも好戦的な笑みがこぼれる。これは侮れん、そう心持ちを変え一度仕切り直すべく一歩引こうとした瞬間、惜しみなく鞘を捨てた左手が伸びてきた。力強く胸倉を掴まれると、間も空けずに引き倒される。何とか刀を戻すが、今度は切っ先を止めることが出来ず眼前にそれに迫られた。
「俺の勝ち、だな」
にっと歯を見せて笑う自信家の笑顔に、周考も眉を歪ませて笑い返す。
「だな。剣にばかり気を取られた俺の失態だ。――もっとも、気にしていても耐えられたか分からんがな」
決して問題ではない。これは剣の勝負ではなく「手合わせ」なのだから。それこそ剣対こぶしの勝負すらあるような場である。周考も過去には足を出したことだってあった。である以上、異論などあろうはずもない。それに、周考本人が口にしたように、彼の動きを完全に追うのは周考には難しそうだ。
レオンは剣を引き周考に手を伸ばす。周考はそれを取り立ち上がった。レオンの引く力と周考が自ら立つ力が強すぎて、互いに少々たたらを踏んだ時には思わずふたりからは笑いが零れる。
「兄上流石ですーーっ!!」
勝負がついたと確信し、それまで耐えていたリーナが両腕を広げて飛び込んできた。察していたレオンは軽く左腕を突き出し、手の平で頭を押さえる形でそれを留める。避けて転ばせようものならうるさい連中(特にマリアンヌ)に文句をつけられるのが分かっていたための行動だ。傍から見ると冷たくも見えるが、頭に手が行ったリーナ本人は顔を輝かせてご満悦である。
「次は誰だー?」
剣を持つ腕を回して楽しそうに笑う様はどこか子供じみているが、その力量は侮りがたい。俺が私がと主張する声があちこちから上がるが、前に出てきた――否、出されて来たのは黒髪ショートの女性だった。身につけている服は周考のそれと似通っており、似たような服を身につけた少年たちに背中を押されている。
「鄭(てい)将軍、俊応様の敵討ちをお願いします」
「呉軍が舐められっぱなしじゃ駄目ですよ
「あ、あの
「いやー、構わんぞ仙星。――それにしても、お前ら仙星のこと好きだなぁ」
「俺よりも仙星殿の方が古参でしょう」
あれこれとやりとりする面々を眺め、レオンは「あれは?」と周考に問いかけた。
「髪を布でまとめてる方の坊主は俺の部下の
軽く一同を紹介している間に、周りからも「いいよいいよ」と声をかけられ、仙星が腹を括ったようだ。アシスタンツから模擬槍を受け取って中央に向かってくる。
「……女だぞ? 大丈夫か?」
こそりとレオンが尋ねると、周考は朗らかに笑って彼の背中を叩いて中央へ送り出した。
「心配無用だぞレオン殿。たおやかに見えるが、彼女は呉軍でも特に優秀な将だし、この宮内でも上位に位置する実力者だ。当然俺など足元にも及ばん。さ、
決して弱くはなかった周考が手放しで褒める相手。自然と気を引き締めると、レオンはぺろりと唇を舐めリーナを放す。やや名残惜しそうなリーナだが、レオンの横顔を見て、ぎゅっと唇を結んだ。ご武運を、と贈られた言葉に軽く返事をして、レオンは仙星が待つ中央へと向かう。
――そしてレオンが次に深い息をついた時、気が付けばその身は地面に横たわっていた。
「………………は………………?」
視界を埋める槍の穂先が消えると、快晴の青空が視界に映る。
「お手合わせありがとうございましたレオン殿。お強いですね」
柔らかに微笑み槍を抱く姿は穏やかな淑女のそれ。であるのに、戦闘中の彼女の動きをレオンは目で追えなかった。2、3手までは覚えている。最初はレオンが押していた。だが、風を切る音がしたかと思ったら槍がぶれ、動いたのだと認識した時には足を払われ、それを認識した時にはこうして転がされていた。
ぽかんとしていると、今度はレオンが手を差し伸べられる。相手は仙星だ。完全に一回前と立場が逆転してしまい、レオンは歯噛みしてその手を取った。振り払いたい気持ちもあったが、仮にも誉れ高い陸軍中佐を頂いている身。勝者に唾吐く行為は自らの誇りが許さない。
「おい、もう一回、もう一回だ!」
しっかり立ち上がり仙星の手を放すと、レオンが強く主張する。だが、審判をしていたヴィンセントに「駄目ですよ~」と緩く止められてしまった。
「連戦は勝ち抜き戦以外は相手から希望がない限り2戦までです。それに――」
ちょいちょいとヴィンセントの指が仙星側を指す。不服そうなレオンがそちらを向くと、彼はすぐにヴィンセントが示していたのが仙星じゃないことを理解した。
「次は俺! 仙星さんと勝負!」
「駄目あたし」
「いや俺」
「あの僕も」
次々に名乗りを上げる挑戦者たちに、彼らの前にいる仙星は困ったように笑っている。
「仙星さんはよくこの輪にいるのですが、中々中央には来てくれないので希望者が多いんです。すみませんが、少々待っていてもらえますか?」
苦笑するヴィンセントに、レオンは葛藤の末頷く。他のことなら意思を通していたかもしれないが、手合わせに関する主張と欲求は武官のレオンには分かりすぎるほど分かった。ここは一旦引くべきだろう。
レオンが了承すると、ヴィンセントは「なるべく優先しますね」という約束をしてくれた。それから場の仲裁をするべく騒ぎの中へと向かっていく。
「ねーベルモンドさん、まだやるの? あたしもう別の所行きたい」
近付いて来たマリアンヌが袖を引いてきた。レオンはそれを軽く振り払い、サーベルを地面に突き刺す。腕組をし仁王立ちの姿勢を完成させたレオンは視線を騒ぎに向けたまま答えた。
「お前らだけで行ってろ。さっきの奴もひとりだけ残ったんだしいいだろ」
さっきの奴ことパトリックのことを言われると駄目だとは言えない。何せ彼も好きなこと――彼の場合はフェランドとの小難しい会話――をするため談話室に残ったのだから。
一同は顔を見合わせると、最終的にルイスが溜め息を吐きロドリグが苦笑する。
「仕方ありませんね、騒ぎを起こされても困りますし、僕もここに残ります」
「私も残ります。マリアンヌとエイミーさんとリーナさんはどうぞ回っていてください」
ルイスが口にしたものを最大の理由に、その半分にも満たない理由として「友人を置いていくのも気が引ける」を付け足しつつ、ルイスとロドリグが留まることを宣言した。「お前らも行けよ」と呆れるレオンは無視する。
「ああ、どうしましょう。見学もしたいですが私も兄上の活躍みたいです……」
胸の前に握り締めた手を持ってきてリーナがレオンとマリアンヌたちを見比べた。どちらも本音だから余計苦しいようだ。そんな彼女を見かねたのか、レオンがちらりと視線を向ける。
「リー、俺が次に試合するのも先だ。こんな所で待ってないで遊んで来い」
「でも」
「気が散る」
まだ躊躇するリーナを諦めさせる意味もこめて少々強い口調でレオンが言い切った。リーナはまだ迷っているようだったが、結局マリアンヌたちと共に見学を続けることを決める。
「兄上ご武運を」
再度兄の武運を祈り、リーナは改めてマリアンヌと向かい合った。お待たせしました、と謝るリーナに「大丈夫よん♪」と笑いかけ、マリアンヌはくるりと振り向く。
「ということで半分になっちゃいました」
特に悪びれない様子のマリアンヌの報告に、状況を見守っていたアランは笑みを浮かべた。
「はい、大丈夫です。それでは男性陣の方にはおれが付きます。そちらはハーティに任せますので、何かご希望があればハーティに」
示され、ハーティは貼り付けた笑顔を僅かに歪ませる。それでも「嫌」とは言わず、ハーティは笑顔を取り繕い直した。
「じゃあ次の所ご案内しますねー。ちょっとそちらの方で待っていてくださーい」
手で示された方向へ素直に向かうと、背後で双子が小声で言い合っているのが聞こえる。
「(ちょっとあんた自分は動かないくせにあたしには歩き回らせる気!?)」
「(じゃあお前ここで試合見ながら大人しく出来んの? どうせ飽きたとか何とか言って不機嫌になるんだから素直に案内してろよ。文句言うな)」
「(はぁ~~? 最近マジあんたウザイんですけど。ワーカーホリックがカッコいいとかまだ思ってんの? ただの奴隷じゃん、気付けよ。あんなのいいと思うとか思考がダサい)」
「おれは自分の仕事に誇りを持ってるだけだよ。お前こそ斜に構えてる自分カッコいいとか思ってんじゃないの? 中途半端にやって文句言ってさ、そっちのがよっぽどだっせぇよ」
ついに小声が取れると、ハーティが大声で文句を言いかけた。それを留めたのは近くにいた参加者の少女たちだ。
「はいはいストーップ。お客さん放って喧嘩しないでよふたりとも」
「ハーティちゃん、ひとりが嫌ならユアたちもついてくよ? ラルムちゃんもフェランドさんとお客さんの相手してるし」
「とにかく、喧嘩は後で。ね?」
双子に声をかけたのは薄い赤から濃い赤にグラデーションがかった髪を持つ少女と、獣の耳がついた水色のフード付きローブを着た赤髪の小柄な少女(と、彼女の足元で「やれやれ」と言った様子を見せる角持ちの白い猫)。それと、修道服を着たオレンジ髪の少女だ。
仲裁を受けたハーティとアランはお互いを睨みつけた後「ふんっ」と顔を反らせる。そのままハーティは歩き出し、少女たちに「来るなら来てくださーい」と声をかけた。
こちらにやって来る4人を立ち止まって迎える客人たちの表情も様々だ。マリアンヌは「あちゃー」と笑い、エイミーは困ったような顔をし、リーナはやや不安そうにしている。客にマイナスの様子を見せる気は基本的にはないらしいハーティの笑顔も、最初に感じた通りの違和感だけが残ってしまった。
しかし、喧嘩を仲裁した少女たちは朗らかで心からの笑顔を浮かべている。
「お客さんたちいらっしゃーい、あたしエイラ・レーンでっす。フェランドさんたちと同じ世界なんでー、そのご縁ってことであたし達も案内参加しますね~」
とはグラデーションがかった髪の少女。その雰囲気に、客人たちは本人含めマリアンヌと近しい性質を感じ取った。
「ユア・ライガーだよ。こっちは
とは水色ローブの少女――もとい、少年。ラプルゥ、と紹介された二足歩行の白い角持ち猫は「ラプッ」と手を上げて挨拶してくる。ぬいぐるみのような愛らしい見た目と動作に、リーナが目を輝かせた。手が自然と持ち上がり抱き締めたそうな様子を見せる。
「ウチはケイティ・カーライルです。こっちに巻き込んじゃったお詫びも込めて、楽しんでもらえるように精一杯頑張りますね」
とは修道服の少女。服のせいもあるかもしれないが、穏やかで落ち着いた雰囲気を醸す彼女に、「ようやく安心出来る人かもしれない」とエイミーはややほっとした。
マリアンヌたちもエイラたちに自己紹介を返し、お互いの挨拶が終わったのを見計らってハーティはくるりと体の向きを変える。
「えーーーっとじゃあぁ、折角外来てるんでぇ、庭の散策でもしましょうかー」
先ほどのやりとりを見たせいか、エイミーとリーナのハーティを見る目は変わってしまった。とはいえ、軍属女子部一期生として色々な波を越えてきたエイミーも、貴族の一員として社交界を渡っているリーナも、それを表に出しはしない。そうですね、お願いします、と笑顔を浮かべるのは朝飯前である。残るマリアンヌは「まあそんなこともあるよね」と全く気にしない様子で「じゃあしゅっぱーつ」と拳を振り上げていた。