謝からの説明が終わると、エリザベス、ルイス、トマス、セザリスは予定通りアランの案内で宮内を見て回った。広大な敷地、明らかに違う国籍・世界の人種、様々な施設。絵物語の町と未来の町を混ぜ合わせたような様相はすっかりと来訪者たちの心を掴み、セザリスすらも早々に観光気分に浸るに至った。彼らの中で一番笑いが起こったのは、獣の姿を持つ者から挨拶をされた際、一度来ているはずのルイスだけが悲鳴を上げた時だろうか。
「――ということで、以上で基本の案内は終了させていただきます。何かご希望があれば他も案内いたしますし、合流が希望でしたらお連れしますが」
いかがいたしますか、と言外に尋ねられると。
「「こいつと別なら何でもいい」」
声を合わせ互いを親指・人差し指で指したのはエリザベスとセザリスだった。学生時代から気が合わなかった2人は今でもやはり気が合わない。今回客人側の自己紹介の際ようやくかつてのライバルエリザベスに気付いたセザリスが「何故貴様がここにいる!?」と今更なことを叫んでいたが、「元々いたところに貴様らが乗り込んできたんだろうが」と一蹴されていた。本当であれば即刻離れているところなのだが、場所と案内人の都合上、ここまでは行動を共にするしかなかったのだ。
そんなふたりのいがみ合う雰囲気にも動じず、アランは笑顔を崩さない。
「それではどなたか合流を希望される方はいますか? そちらの方にお連れさせていただきます。一緒にいらした方でも、ここに来てから気になった者でも結構ですよ」
どうしますか、と急かさない語調で問われ、セザリス・エリザベスは思考を巡らせる。セザリスの選択肢に上がっているのは元部下と弟、エリザベスの選択肢に上がっているのはマリアンヌたちかこのままひとりでぶらつくか(秘書と元部下はついて来そうだがそこはカウントしていない)。
最終的な結論を出すのはエリザベスの方が早かった。
「それなら私は――」
「あー、いたいたー! ナディカさーん」
ひとりで、と口にしかけたエリザベスの声を、明るい少女の声が呑み込む。もう何年も聞いていない、けれどとても、懐かしい声。目を見開いたエリザベスは、声の聞こえた方を振り返った。
「ナディカさーん、久しぶりー!」
大きく手を振ってこちらに駆け寄って来ているのは、ひとりの少女。黒い髪に黒い双眸、脇の髪だけ長いのはこだわりだと言っていた気がする。走るたび揺れる青いコートは、記憶のままに鮮やかだった。さらに、彼女の背後からもうひとり近付いてきていた。灰色の長い髪を首の後ろでくくっている、こちらも見覚えのある青年だ。
「あっっ!」
セザリスやトマスが近付いてくる少女たちの正体をはかる中、ルイスが大きな声を上げて何かを思い出したような顔をする。今更か、とエリザベスは少し呆れた。そう、何せ彼女たちは、エリザベスやルイスが、初めて会った「不思議な存在」なのだから。
「久しぶりー、元気だった?」
2、3歩元の位置から進んで待ち構えていると、少女は何の躊躇もなくエリザベスを抱きしめる。屈託ない笑顔は最後に見た時のままで、エリザベスは思わず頬を緩めた。
「ああ、久しぶりだなユウラ。私はこの通りだ。お前も見た通りだな。……で、お前もここに来てたのか。それとも、ここの住人とやらか?」
懐かしさを堪えきれない様子で自然と声が弾む。その様子を見た秘書が驚いた顔をした後何だか嬉しそうな顔をしたことにエリザベスは気付かない。
「一応ここの住人だよ~。まあ、時渡りだしほとんどいないんだけどね」
相も変わらず定住しないらしい。そんなところも懐かしくなっていると、ゆっくり歩いてきていた青年が追いついた。
「悠羅、ちゃんと挨拶はしたのですか」
呆れた口調で問われ、少女は「あ」と一言漏らすと後頭部に手を当てて笑う。
「あはは、ごめん忘れてた。えーと、ルイスさんはもう知ってると思うけど。――はじめまして、『時渡り』の
ぺこりと頭を下げると、続けて隣の灰色髪の青年が頭を下げた。
「お初にお目にかかります。『時渡り』の従者、フォーネルレイズと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ふたりが頭を上げると、自分たちが挨拶されたと認識している初対面のセザリスとトマスが応じる。
「イマニス王国陸軍少将、セザリス・エリオットだ。よろしく」
「オレはエリザベス姐さんの秘書でトマス・ノーランドと申しますっス! こちらこそよろしくお願いします! ……ところで、姐さんのお友達にしては随分その、お若い気が……?」
女性に年齢に関することを口にするのがどれほど失礼なのか、トマスはきちんと理解している。しかし、それであってもこの関係は聞かずにいられなかったのだ。恐る恐る、といった様子のトマスだが、エリザベスは大して気にしていなかった。かつて年のことを悠羅に指摘された時その両頬を抓った頃に比べると彼女も随分落ち着いている。
「こいつは年を取らんからな」
さらりと告げられ、トマスは「え?」と言葉を取りこぼした。横で聞いていたセザリスも理解出来ずに僅かに眉をひそめる。
「ナディカ、それでは通じません」
冷静にそれを指摘したのはフォーネルレイズだった。ならお前が説明してやれ、役目だろ、とナディカは特に不快に思うことなくさらりと返す。
「あなたはそういうところは変わりませんね。――補足します。先ほど『時渡り』と申しましたが、それは【時】の意思の元あらゆる次元や時空、時間を行き来する存在のことを言います。この性質上、時渡りは年を取りません。ナディカたちの時間を見るに、我々が彼女たちと出会ってからはもう十年近くの時が経っているようですね」
ちらり、と視線がエリザベス、ルイスと流れると、ルイスはびくりと体を強張らせた。かつて彼らと会った時のことでも思い出しているのだろう。最後には慣れていたと思ったのは気のせいだっただろうか。
フォーネルレイズは『時渡り』の従者として【時】により作られた唯一の存在であり、性別がなければ定まった形も持たない。老若男女の人間にもなれれば、獣に姿を変えることも出来る。かつてはその特性を活かし、上陸した町の森で迷子になった悠羅とエリザベスが船長を務めた船の乗組員の少年の標となるべく、虎に変じて吠えたこともある。
非常に端的に説明を終了したフォーネルレイズは「役目は果たした」と言わんばかりの様子だが、聞いているセザリスとトマス、加えるならルイスも、未だに彼女たちに理解は及んでいなかった。
「うん、お前たちがいるなら私はお前たちと過ごすかな。アラン、それでいいな?」
悠羅の頭にぽんと手を置いたエリザベスがアランを振り返ると、アランは「もちろん」と笑顔を返す。
「お友達がいらっしゃったなら何よりです。悠羅さん、レイズさん、エリザベスさんをよろしくお願いします」
丁寧にアランが頭を下げると、悠羅は敬礼の形を取り元気に返事をし、フォーネルレイズはこくりと頷いた。
「トマス、お前はどうする?」
エリザベスが問いかけると、トマスは先ほどのレオンと同じような苦悩の仕方をし、最終的にぴんと全ての指を立てた手を前に突き出す。
「いえ、今は引いておきますっス。でも、オレも後でお話ししたいんで時間取ってもらえたら嬉しいっス」
爛々と輝く双眸には「詳しく話を聞きたい」という期待が込められていた。エリザベスは苦笑し、悠羅は「うん、じゃあまた後でね!」とトマスの突き出された手にハイタッチする。ノリが合うと思ったのか、トマスはぱっと笑顔を咲かせて元気に返事をした。
「君はいいのか、ルイス君」
固まったままのルイスに気遣ったセザリスが小声で声をかける。ルイスは引きつった顔のまま小さく頷いた。
「…………落ち着いてはいられるのですが、ちょっと、久々のレイズさんの存在はさすがにまだ受け止めきれません」
ああ、思い出した。かつて出会った時、同じく受け止めきれなかったルイスは彼女たちの存在を大晦日の夢だということにしたのだ。そうして、記憶の奥底に沈めたのだ。まさか事実であったとは、とこの宮に来た時以上の衝撃を受けていると、悠羅に引き連れられたエリザベスが別方向へと歩き出す。
「おいレイズ、縮め。見下ろされると腹立つ」
「あなたが成長したのは見目だけですか。……はぁ」
ため息とともにフォーネルレイズの姿が歪み、次の瞬間、そこには背の高い青年ではなく小柄な少女が現れた。
「これで満足ですね?」
じと目で見上げられ、エリザベスは「ああ、満足だ」と言葉通りの笑みを浮かべて自身よりずっと下に来た頭をがしがしと撫でる。再度の溜息は聞かなかったことにしているらしい。
その彼女たちが去っていくと、残されたアランはちらりと客人たちを見やった。
「……少し、どこかで休憩しますか」
知っていただろうにやはり固まるルイスのみならず、突然の変化にセザリスもトマスも開いた口が塞がらない様子で放心している。提案にも反応出来ないほどの衝撃を受けている彼らを、アランは呼び出したアシスタンツと共に休憩所に運んだ。
エリザベスが悠羅(正確にはフォーネルレイズ)に連れて来られたのは、いくつかある建物のうちのひとつ。その5階だった。
「ほぉ、凄いな。本当に一瞬じゃないか」
感心したようにエリザベスは周囲を見回す。建物の1階に着いた際、エリザベスは5階に上がる手段の選択肢を与えられた。階段、エスカレーター、エレベーター、移動陣、と聞き慣れない単語が並んだので、「一番不思議なもの」と答え、その結果選ばれたのが移動陣だった。この宮に来た時のような魔法陣の上に立ち、目的の階数を言った途端にエリザベスの視界は不思議な光に包まれ、こうして今は5階の床に立っている。これは要望通り確かに不思議だ。ちなみに、フォーネルレイズが移動陣を選択したのは、それ以外の機械はいつか彼女たちの世界でも作られるかもしれないから、であるのだが、その理由まではエリザベスも気にしていない様子である。
「それにしてもユウラ、お前ここの住人のくせに何で建物の見分けがついてないんだ」
呆れた目で見下ろすと、悠羅は頭の後ろに手を当てて緩く笑った。
「ごめんねー、あんまりここにいないし建物全部白色だから同じに見えちゃって。レイズが分かってるからいいかな~って。ほらほら、それよりこっち来て。景色いいんだよ」
誤魔化すというより本当にただ話を変えただけらしい悠羅は、屈託ない笑顔で歩き出す。半身だけ振り返りながら手招きする姿に、エリザベスはふっと口元を緩めてその後を追った。数メートルほど真っ直ぐ進んでから、コートを翻しながら悠羅が消えた角を左に曲がる。
その瞬間、正面から風が吹き抜けた。
強めの、少し冷たい、しかし爽やかなそれに軽く目を瞠る。視線の先には突き抜ける青い空と白い建物が見え、その合間合間に高い木が覗かれた。
バルコニーらしく、それまで普通に見えていた廊下が暗く見え、逆に屋根が途切れた先からがとても明るく見える。ちょうどバルコニーに出た悠羅が振り返り大きく手を振った。
「ナディカさーん、こっちこっちー」
相変わらず太陽の似合う娘だ。以前再会した時も相当時間が経っていた気がするが、今の方が懐かしさが強いのは何故だろう。覚えず緩む頬をそのままに、エリザベスもまたバルコニーに出る。エリザベスたちの世界は冬だが、この宮は中秋、あるいは晩秋ほどの季節のようで、外に出ても身を切るような寒さはなかった。
そのまま手すりまで向かうと、視界は一気に太陽の明るい日差しに包まれる。吹き止まない風が少しだけ強く吹いた。風になびく藤色の長い髪を抑えながら、エリザベスは眼下に広がる景色を感心したように見下ろす。
「凄いな。いい景色だ」
エリザベスが素直に褒めると、悠羅は「お気に入りの場所なんだ」と朗らかに笑った。
「座ってお茶でも飲む? 頼めばすぐに持ってきてくれるよ?」
示されたのは右奥に設置されているいくつかのテーブルだった。少し考えてから、エリザベスは再び視線を眼下に向ける。
「いや、ここでいい。ああ、茶は貰うぞ」
ふざけて手を2度打ち鳴らすと、どこからともなくアシスタンツが駆け寄ってきた。驚いている内に「ピャ」と差し出されたのは洒落た装丁のメニューで、お好きな物を選んでくださいと告げられる。――ピャーピャー言っているようにしか聞こえないのに、何故そんな言葉が伝わるのか。エリザベスは頭の隅でそんなことを疑問に思いながらメニューを開く。その間に悠羅とフォーネルレイズはそれぞれメニューも見ずにいちごラテとコーヒーを頼んだ。
「――酒」
「駄目に決まっているでしょう。夜まで待ちなさい」
期待を込めて呟くが、それは即座にフォーネルレイズに却下される。盛大に舌打ちするものの、通らないのは分かっていたらしいエリザベスはすぐにハーブティーを頼んだ。了解を示してアシスタンツが姿を消すと、一同の視線は自然と手すりの向こう側へと向かう。
「……お前たちは、その後どうしていた?」
ぽつりと囁くようにエリザベスが尋ねれば、悠羅は「いつも通りかな」とあっけらかんと答えた。
「色んな世界に行って、色んな人に出会って、色んな出来事に巻き込まれた。時々【時】の歪みがあったらそれを修正したりね」
たとえば、と悠羅はその世界の話を、その人物の話を、その出来事の話を、身振り手振りを交えて語りだす。その間に頼んだ飲み物も来たので、手すりに寄りかかっているエリザベスはそれを飲みながら耳を傾けた。
ややあって話が終わると、悠羅はエリザベスの隣で手すりによりかかり、彼女の顔を覗き込む。
「それで? ナディカさんは?」
エリザベスが喋ってくれることを確信しているような目に、僅かに表情が歪んだ。嫌だから、ではない。話したがっていることを見透かされていたことに気付いたから、だ。苦笑すると、エリザベスは「どこから話すかな」と青い空を見上げる。
「軍をな、辞めたんだ」
何年も前の話だが、ここから話し出さないと何も話せないと思った。そしてその通り、エリザベスの話はそこからぽつりぽつりと続いていく。軍を辞めて議員になったこと。それを決めるまでに思ったこと。今目指していること。同じ世界の人間には口が裂けても言えない話をエリザベスは続けた。彼女が、彼女の従者が、決して誰にもこの話を漏らさないことを確信しているから。誰にも語れないまま胸の奥底で
そうしてようやくエリザベスが唇を完全に閉じきる頃には、温かかったカップはすっかり冷えてしまっていた。
「――そっかー。色々あったし、色々考えてたんだね。それでも頑張ってきて、これからも頑張ろうとしてるんだから、ナディカさんはやっぱり強いね」
素直に褒め称えてくる悠羅に、エリザベスはどこかすっきりした様子で笑みを浮かべる。
「それにしても、そっかー、そっちだったかー」
突然悠羅が語調を変えた。ふざけているような声音に「何がだ?」とエリザベスが眉を歪めて不思議そうな顔をすると、ニッと悪戯っ子の笑みが返される。
「すっごく綺麗になったから旦那さんでも出来たのかと思ってたのに」
からかうような口振りにエリザベスは呆れたように肩を竦めた。
「そんな暇はない。とりあえず今のは褒め言葉として受け取っておこう」
軍人だった頃のエリザベスは髪も短く服装も男性の物だった。悠羅と会った時は2回ともその状態だったので、今のエリザベスを見て「変わった」と思うのも不思議はないだろう。
「……ん? そういえば、お前よく私だと分かったな。髪の色か?」
ここで再会した時、悠羅は遠目からエリザベスに気付きその名を呼んでいた。自分でも随分変わったと思うのに、何年も会えなかった彼女がよく気付けたものだ。疑問と驚きを同時に浮かべていると、悠羅はピースにした指を目元に当て、その隙間からエリザベスを覗きこむ。満面を輝かせるのは自信たっぷりの笑顔である。
「時渡りの目に時間の経過は関係ないよ!」
星でも飛ばしそうな弾んだ声での回答を受けたエリザベスは、彼女の後ろのフォーネルレイズに視線を向けた。解説しろ、と目で要求すれば、気付いたフォーネルレイズは自身の目を指差す。
「時渡りや私の目は時間の経過による変化に惑わされません。人間に限る話ではありませんが、個々の持つ時間は唯一なので、それを見ることによって同じ存在だと認識しているのです。あなたと以前再会した時も、随分成長していたにも関わらずすぐに分かったでしょう?」
そういえば、以前再会した時も彼女はすぐに自分を認識して挨拶してきた。今ほど自分で「変わった」と思っていなかったのであの時は気にしなかったが、今考えるとあれも十分不思議な状態だったわけだ。
「なるほど……よく分からんが、個人ごとのIDがあるという感じなわけだな。便利だな」
「あなた、他の言い方が」
「うん、便利だよー」
あるでしょう、と続くはずの言葉は真正面から認めた悠羅に攫われる。溜め息をつき、フォーネルレイズは「あなたは特に気をつけなさい」と呆れつつ注意を告げた。
「さて。湿っぽい話は終わりだ。もっと楽しい話をしよう。ああ、その前に新しい茶だな。おい、同じ物」
先ほどので味を占めたのか、エリザベスは手を叩き合わせる。途中まで近付いてきていたアシスタンツは敬礼を返した。悠羅とフォーネルレイズも空のカップを渡して別の物を頼んだ。
次の飲み物が来るまでの僅かな時間、3人は次の話題を探るべく適当に話し始める。そこには、親しい友人同士の気軽な空気が流れていた。