結局ひとりになってしまった。先ほどの東屋で優雅に茶を嗜みながら、セザリスは次の行動を考える。
トマスが子供たちと移動してから少しして、以前この宮に来た時に知り合ったという少年たちがルイスを迎えに来た。その際セザリスも誘ってもらったのだが、「知り合い同士の中に急に割って入るのは悪いのでは」という、今考えれば謎の気遣いが頭に浮かんだ。深く考えずに断ってひとりになってから、ますます自分の選択肢がなくなってしまったことに気付いたのだが、それも後の祭りである。
ちなみに、今はアランが席を外しているのでまさにひとりきりだ。件の少年たちから、ハーティが彼らの友人である少女たちとマリアンヌたちのグループに合流した、という話を聞いたのだが、それが何か気に食わなかったらしい。それまで自然だった笑顔が引きつり、「少し外します」と告げた時は眉がわずかに寄っていた。
ハーティ、というのは確かアランの姉で、セザリスの弟――ロドリグを連れて行ったあの少女のことだったはず。その彼女が別の者たちと合流して何故アランが不機嫌になるのか。暇つぶしに思考を巡らせているうちに、アランが早足で帰ってくる。
「セザリスさん、お待たせしてすみませんでした」
セザリスの正面まで来ると、アランは丁寧に頭を下げた。構わない、と伝えて頭を上げさせると、その眉はまだ少し歪んでいる。
「この後何かご希望はありますか? どこでもお連れは出来ますが」
上着のポケットからドーム型のボタンのような物を取り出すと、アランはその中央の透明な部分を押した。直後に光が上へ放たれ、それは一瞬で空中に立体的な地図を映し出す。初めてみる技術に素直に感心したセザリスは、しかし自身の隣をノックするように叩いた。
「とりあえず座ってくれるか」
まるで上司が部下に席を勧めるような発言に戸惑いつつ、アランはそっと示された場所に座る。
「どうしました?」
「君がどうした?」
質問に質問で返すとは我ながら不作法だとは思った。だがそう思いながらも、セザリスはそれを尋ねずにはいられない。え、と次ぐ言葉を迷うアランに、「眉が寄っている」と自分の眉根を叩いて見せる。アランは自分の額に手を当てると、困ったように笑った。
「すみません、顔に出てましたか」
申し訳ない、と頭を下げかけたアランの肩をセザリスは軽く押し返す。
「構わん。……が、訊いてはまずかったか?」
気になったのでそれをそのまま口に出したが、もしかしたら失敗だったのかもしれない。セザリスは決して何にでも口を挟む性分をしているわけではないし、エリオット家の長男として、陸軍の将官として、相手の心情の読み方も学んできている。それでもこうして突っ込んで尋ねてしまったのは、やはりこの不思議な状況に浮かれてしまっているからだろうか。
逆に申し訳なさそうにセザリスの眉根が寄ると、アランは慌てて頭と両手を振った。
「とんでもないです! ちょっと身内の恥というか、なんというかがありまして……それで顔に出てお客様に気遣わせてしまうなんて情けないなぁ、と」
思いまして、と言葉尻が消えていく。視線も自然と下に下がってしまっているアランを見下ろし、セザリスは再度同じ言葉を繰り返した。
「……どうした?」
2度目の問いかけに、今度こそアランは素直に答える。
「――姉と、喧嘩しました」
姉、というのはハーティのことだろうか。確認すると、アランはこくりと頷いた。
「先ほどいらした方々から、ハーティが彼らのご友人とマリアンヌさんたちと合流した、って聞いたじゃないですか? でもそれって、ロドリグさんを放置している、ってことになりますよね。だからそのことを通信機で問いただしたんです。そしたら、母が対応してるから別にいいだろ、って言ってきて。おれそんなの間違ってるって言ったんですよ。だってお客さんについて案内したりするのがおれたちの仕事なのに。なのにあいつ! ひとりと複数人だったら複数人の相手してる方が正しいだろとか言って通信切ったんですよ! 自分が楽しい方に行きたいだけのくせに!」
話すたびに抑えていた怒りが噴き出るように、アランの声は大きくなっていき、最後には叫ぶ勢いになる。膝の上の拳をぎゅっと握りしめ地面を睨みつけていたアランは、最後の一音から一呼吸おいてからハッとした様子で顔を上げた。
「す、すみません。お客様にこんなこと――!」
「いや、私が訊いたことだ。……少し言ってもいいか?」
軽く丸めた手を顎に当ててセザリスが確認すると、神妙な顔をしたアランはこくりと頷く。
「私はこれで軍属だから、仕事というものに対する責任の在り方については十分分かっているつもりだ。一般以上に規則が厳しい場所だからな。――その視点で見させてもらっても、君の仕事に対する姿勢は素晴らしいと思う。実際、案内中に起こった諸事に君は冷静に対処し、案内という仕事を完遂している」
何か怒られるのかと内心でひやひやしていたアランはほっと詰めていた息を吐き出した。次いで、褒められたことを素直に喜ぶ笑みを浮かべて礼を述べる。その彼に一度頷いてから、セザリスは言葉を続けた。
「ただ、私は君の姉が完全に駄目だとも思えない。……そうあからさまに嫌そうな顔をするんじゃない。理由もちゃんと話す」
完全に駄目なわけではない、なんて言葉理解出来ない。そんな思いのままに咄嗟に拗ねた顔をしてしまったアランは、摘ままれ離された眉根を揉みながら小さく謝る。
「私が彼女を見たのは最初だけだから判断基準はそこだけだ。それを踏まえたうえで聞いてくれ。――まず、彼女は仲が良いだろうマリアンヌ君たちと共に行けないことへの不満を隠さなかった。初対面の私でも分かるほどに。それは、まあどう見てもダメな面だろう。私の部下なら叱責の一つ飛ばしているところだ」
ですよね、とひとつ頷くアランだが、褒める言葉が続くと分かっているのでその表情は複雑だ。
「ただ、一度訪れただけの面々とそれだけ仲良くなれるのは素晴らしい点だと思う。対応する相手によって違うのかもしれんが、来客と仲良くなれる、というのは君たちの仕事から考えて悪い点ではないだろう?」
「……そうですけど、セザリスさんが言ったとおりあいつが仲良くなるのは話が合うって分かった人だけですよ。それ以外には分かりやすい作り笑いばっかりだ」
そんなの全然素晴らしくない。アランが再び不服な様子を隠さなくなり、セザリスは考えるように視線を空中に彷徨わせる。
「そうか。それは問題だな。だが作り笑いが出来るのもひとつの才能だ。うまく磨けば差しさわり内対応が出来るようになる」
「自分の仕事に誇りを持っていないような奴が、上手く出来るようになるなんておれには思えません」
「仕事の誇りというのは最初からあるものじゃない。続けて、やりがいを感じた時に初めて抱くものだ」
「~~っ、同じタイミングで始めたおれはもう誇りを持ってます。持ってるつもりです!」
「それは間違いないだろう。だから君は不真面目に見える姉に腹が立っているんだ。それでも」
「セザリスさんっ!!」
怒鳴るような大音声で名前を呼ばれ、セザリスは静かに口を閉じ、叫ぶと同時に立ち上がったアランを見上げた。視線の先では、表情を歪め目に混乱を映すアランがセザリスを見下ろしている。
「さっきから何なんですか? おれの案内に何か不備でもありましたか? 何でそんなにハーティのこと庇うんですか? あなたも」
詰まるように言葉が途切れ、茶色の双眸が揺れた。セザリスに向いているはずの視線なのに、セザリスはそこに自分が写っていないように感じる。彼はセザリスの後ろに、別の何かを見ているようだった。
「あなたもっ、ハーティに味方するんですかっ!?」
何で、どうして。ぐるぐると頭を駆け巡る混乱と不愉快と悲しさがアランの足元を崩していく。まるで立っていた地面がなくなっていくような不安定さに苛まれていると、不意にセザリスがアランの腕を取った。はっとしたアランの目と、彼を正面から見続けていたセザリスの目がぶつかる。
「アラン君、すまない。そんなつもりじゃなかったんだが……とりあえず座ってくれ。説明させてほしい」
先ほどと同じセリフだが、口調は上司のようなそれから小さい子供を宥めるようなそれになっていた。袖口で目元を拭うと、アランは素直に腰を下ろす。視線は下に向いたままだ。セザリスはそれを咎めることはせず、そっと掴んでいた腕を離した。
「……やはり私ではロドリグのようにはいかんな」
ふー、と長い溜息をついてから、セザリスは木で出来た長椅子の背もたれに背中を預ける。彼の身分や立場から考えると相当乱暴な様子だが、それを咎める者は今はいない。
「本当にすまない。君とお姉さんが仲が悪い様子なのが気になって、少し口を挟みすぎた。彼女を褒めていたのは、『よく見てみればいいところもきっとあるぞ』と伝えたかったからなんだ。決して君とお姉さんを比較して君を非難したかったわけじゃない」
セザリスは一度言葉を切った。嫌がるようならやめなければ、と。しかしアランは呟く。何故そんなことを、と。非難がましい口調ではなかったので、セザリスは話を続けた。
「余計なお世話だとは分かってるんだ。ただ、まだ若い君が私たちと――私と同じ道に行きそうなのは止めてやりたいと思った」
「……同じ?」
少しだけアランの視線が上がる。まだ下から見上げるような形だが、それでも視線は合った。こくりと頷くセザリスの顔には、苦い笑顔が浮かんでいる。
「ああ。私とロドリグは、今でこそ和解できたが、かつては決して仲が良い兄弟ではなかった。背景に家の事情があったのもあるが、お互いにお互いが苦手で、理解出来なくて、避け合っていた」
あのロドリグと、とでも言いたいのか、アランの表情が驚いたそれに変わった。まったくあの弟は、こんな不思議な土地でも「人当たりの良い人物」なのだな。弟の評価を感じ取り、セザリスは思わずと言った様子で軽く頬を緩める。
「――だがな、私たちは理解し合えなかったんじゃない。理解しようとしてこなかったんだ。お互いを見ようとしなかった」
いつからだろうか。ロドリグを「相容れない弟」からただの「弟」として見られるようになったのは。一緒にテーブルを囲んで茶を飲んで、時々茶化して茶化されて、何てことない会話に興じられるようになったのは。
「アラン」
自然と敬称が取れた名前で呼びかければ、反射のようにアランの顔が上がった。視線が合えばまだ戸惑った顔と目が合う。
「私は1から100まで喧嘩もせずに仲良くした方がいいとは言わない。そもそも出来るものではないしな。それに、もしかしたら双子だからこそ、普通の兄弟よりも合わない部分があるのかもしれない。ただこれだけは言える。兄弟と喧嘩したままだと、大なり小なり後悔することになるぞ。……喧嘩をしていた、というわけではないがな、少なくとも、俺は大人になってからあいつと普通の兄弟でいられなかったことを後悔した」
眉を寄せ唇に歪んだ笑みを刻めば、「兄」として何もしてやれなかった過去が次々に溢れ出てきた。言葉通りの後悔は、遠慮なく胸の奥で暴れ出す。それをぐっと押さえつけ、セザリスはアランの肩を叩いた。
「相手の良い所をひとつでも探してみるといい。それがあるだけで受け取り方は変わってくる。君が余裕を見せられれば、君の姉も少しは落ち着くんじゃないか? ……君が、将来後悔しないでいられることを祈っている」
そう言うと、セザリスは立ち上がり、東屋の屋根の際の真下まで歩を進める。こんな時でもやまない風は、ふわりとセザリスの髪を揺らした。過ぎ去っていく姿なき風を見送りながら、セザリスは静かに思考を巡らせる。
どうしようか、と。
(しまった。ついつい話しすぎたが、この場に彼と私しかいない上に彼に案内してもらわないと私はどこにどう向かえばいいのか分からん。感情のままに動きすぎたか)
やはり自分は浮かれているのだろうか。真顔の下でそんなことを考えていると、背後でアランが立ち上がる気配がした。そのまま振り返れずに待機していると、彼はセザリスの隣に立つ。視線を感じたので目だけをそちらに向ければ、アランに真顔で見上げられていた。まずいか、と思いつつも、ポーカーフェイスを心がけて「どうした?」と冷静に返す。
「……要約すると、昔セザリスさんも兄弟関係で失敗したから同じ轍を踏ませたくなかったってことですよね?」
「ああ」
「それはおれを心配してってことですよね?」
「そのつもりだ」
「じゃあセザリスさんはハーティじゃなくておれの味方ってことですよね?」
「ああ。……ん?」
間違ってないが正しいとも言いづらい確認に返事をしてから気付いたセザリスは、正面に戻していた顔を再びアランに向けた。そうすると、それまで大人びた仕事人の顔をしていた少年は、年相応の明るい笑顔を浮かべる。
「やった! 何か知らないですけど、おれの周りすぐ上の兄以外みーーーんなハーティの肩持つから複雑だったんです。でもセザリスさんはおれの味方なんですもんね」
ね? と期待を込めて輝く双眸を向けられながらの再確認に、セザリスは頷くしかなかった。いや、別にそもそも否定するつもりもなかったのだが――。
「……まあ、アラン君には世話に」
「アランでいいですよ!」
明るく訂正され、呼ばないわけにはいかなくなったセザリスは戸惑いながら軽く眉に指を当てる。
「…………アランには世話になったからな。どちらかといえば君の味方だな」
視線に込められた期待に負けて肯定すれば、アランはさらに嬉しそうに両拳を握り締めた。その顔に浮かぶ少年らしさに、戸惑っていたセザリスは気が抜けたようにふっと笑う。
(――ああ、もしかして、これが「弟に頼られる兄」の感覚なんだろうか)
ふと気付き、セザリスは内心で納得したように手の平に拳を打ちつけた。幼少期にあまりロドリグと仲が良くなかったセザリスは、今更ながらに「兄」というものに憧れを抱いている。――例えるなら、「頼られる兄」「甘やかせる兄」などだろうか。今は仲も改善しているが、さすがにもうロドリグも大人なので面と向かって甘やかせはしない。のだが、ささやかにその機会に恵まれないものかと願っていたりする。
そんなセザリスの兄願望と、素直に適度に慕ってくれるアランの天然末っ子気質はどうやら相性がいいらしい。自覚すると楽しくなったのか、セザリスは試しにと言わんばかりにアランの頭を撫でてみた。一瞬「おや?」という顔をしたアランだが、すぐにまた笑う。彼の心情は今「自分の味方が出来た」という喜びが大半を占めていた。
「ふむ。アラン、この後は仕事は置いておいて、君が好きな場所に連れて行ってくれるか? 住民目線でも歩いてみたい」
観光気分が戻ってきたセザリスが提案すると、アランは「喜んで!」と少年の顔のまま歩き出す。それでもちゃんとアシスタンツに後片付けを頼むのを忘れない辺りやはり仕事人としての気質は根っからのようだ。